テレビの中で関西弁で笑わせてくれるあの人も、深夜ラジオで脱力しきっているあの人も、ネタの裏ではひとりの人間として日々を過ごしている。悩み、妬み、挫折し、それでも舞台に立ち続ける。
お笑い芸人が書くエッセイには、そんな「笑いの外側」にある生身の言葉が詰まっている。芸人だからこそ持っている独特の観察眼と言語感覚で、日常を切り取り、感情を掘り下げ、ときに読み手の胸をぐっと掴んでくる。
ここでは、読んだあとにその芸人のことがもっと好きになる、あるいはまったく知らなかったのに気になって仕方なくなる、そんなエッセイを13冊集めた。
若林正恭『ナナメの夕暮れ』
著者:若林正恭(オードリー)/出版社:文藝春秋(2018年)

世界と自分のあいだにある、どうしようもない「ズレ」を見つめて
オードリー若林が、ブレイク後の約6年間で感じてきた違和感や戸惑いを書き連ねた一冊。社会に馴染めない自分、人見知りをこじらせた自分と、どう折り合いをつけていくか。その格闘の記録がここにある。
読んでいると、若林の抱える生きづらさが自分のそれと重なる瞬間がある。ネガティブを否定するのではなく、ネガティブなままどう楽しく生きるか。その問いに対する彼なりの答えが、押しつけがましくなく、ぽつりぽつりと綴られている。共感というより、隣で一緒に黙って座っているような読後感がある。
若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
著者:若林正恭(オードリー)/出版社:KADOKAWA(2017年)

ひとりキューバへ飛んだ、人見知り芸人の紀行文
航空券予約サイトでたまたま見つけた、たった1席の空席。それに吸い寄せられるようにして、若林はキューバへ向かう。社会主義の国で見た風景、出会った人々、そして日本での自分の日常。その対比が、旅を通じて浮き彫りになっていく。
文庫版には、モンゴルやアイスランドへの旅、そしてコロナ禍の東京を綴った書き下ろしも収録されている。若林の文章は、ひねくれているようでいて実はとても素直だ。旅先で目にした何気ないものに心を動かされ、それを不器用に言葉にしようとする姿勢が、読んでいて心地よい。
又吉直樹『東京百景』
著者:又吉直樹(ピース)/出版社:ヨシモトブックス(2013年)

売れない日々を過ごした街を、百の景色で描く
芥川賞作家でもある又吉直樹が、上京してからの日々を東京の100の風景とともに綴ったエッセイ。下北沢、井の頭公園、吉祥寺、三鷹。売れない若手芸人だった頃に歩いた街の記憶が、詩的でありながらどこか切ない文章で紡がれている。
又吉の文章には、場所に対する愛着と、そこで過ごした時間への惜しみがにじんでいる。華やかなブレイクの裏にあった孤独や焦りが、東京という街の空気感とともに伝わってくる。100のスケッチのなかに、ひとりの青年の成長の物語がある。
又吉直樹『第2図書係補佐』
著者:又吉直樹(ピース)/出版社:幻冬舎よしもと文庫(2011年)

本を語ることで、自分自身を語ってしまう読書エッセイ
お笑い芸人が書いた読書エッセイ、というと構えてしまうかもしれない。けれどこの本は「この本が好きです。なぜなら」と、ただまっすぐに本への愛を語っている。太宰治、中村文則、尾崎放哉。取り上げる作品は幅広いけれど、どれも又吉の実体験と結びついているのが面白い。
本について語っているはずなのに、気づけば又吉自身の人生の断片が見えてくる。本と自分の人生が溶け合うような読書体験を、又吉は自然体で見せてくれる。読書好きにも、ふだんあまり本を読まない人にも、入り口として最適な一冊。
山里亮太『天才はあきらめた』
著者:山里亮太(南海キャンディーズ)/出版社:朝日文庫(2018年)

才能がないなら、嫉妬をガソリンにして走ればいい
南海キャンディーズの山里亮太が、NSC(吉本総合芸能学院)時代から現在に至るまでの半生を赤裸々に語った自伝的エッセイ。嫉妬、焦り、挫折。負の感情をこれでもかと正直にさらけ出しながら、それを笑いと努力に変えてきた軌跡がここにある。
天才になれなかった人間が、それでも戦い続けるために編み出した方法論。それは泥くさくて不格好だけれど、だからこそ多くの人の背中を押す力がある。山里の自虐は、単なるネタではなく、生き方そのものから滲み出ている。
岩井勇気『僕の人生には事件が起きない』
著者:岩井勇気(ハライチ)/出版社:新潮社(2019年)

何も起きない日常を、ここまで面白く書ける才能
ハライチ岩井のエッセイは、タイトルの通り、劇的なことは何ひとつ起きない。組み立て式の家具と格闘する。珪藻土にハマる。ショッピングモールで過ごす休日。それだけなのに、読むとなぜか笑ってしまう。
岩井の視点は、日常のなかにある微妙な「ズレ」や「引っかかり」を見逃さない。大げさに騒ぐわけでもなく、淡々と描写しているだけなのに、その温度感が絶妙で、気がつけばページをめくる手が止まらなくなっている。何気ない日々のなかにこそ面白さがあると、この本は静かに教えてくれる。
太田光『芸人人語』
著者:太田光(爆笑問題)/出版社:朝日新聞出版(2020年)

笑いと怒りで時代を斬る、太田光の時事コラム集
朝日新聞のコラム「天声人語」をもじったタイトルからして太田光らしい。時事問題や社会現象を、芸人ならではの角度で切り込んでいくコラム集。軽妙な語り口のなかに、鋭い批評精神と、根底にある人間への興味がにじんでいる。
テレビでの太田は暴走するイメージが強いかもしれないが、文章になると意外なほど論理的で、繊細な面が見えてくる。笑わせながら考えさせる、というのは簡単なようでとても難しいことだ。太田の文章には、その両方が自然に同居している。
加納愛子『イルカも泳ぐわい。』
著者:加納愛子(Aマッソ)/出版社:筑摩書房(2020年)

言葉が泳ぎ、言葉自身が楽しそうにしている
Aマッソのネタ作りを担当する加納愛子の初エッセイ集。Webちくまでの連載に書き下ろしを加えた全40篇が収録されている。コントで医者を演じることは女医を演じることになってしまう、という冒頭のエッセイから、彼女の感性の鋭さが伝わってくる。
加納の文章は、妄想が現実と地続きになっていて、その境界があいまいなまま転がっていく。読んでいるとこちらの頭のなかも自由になっていくような感覚がある。言葉に対するこだわりと遊び心が全篇に満ちていて、お笑いファンに限らず、文章そのものが好きな人に読んでほしい。
ヒコロヒー『きれはし』
著者:ヒコロヒー/出版社:Pヴァイン / ele-king books(2021年)

不器用に生きてきた日々の断片、その手ざわり
芸歴10年を迎えたピン芸人ヒコロヒーの初エッセイ集。noteに発表されたエッセイから厳選されたものに書き下ろしを加え、下積み時代の日々が綴られている。情けなくて可笑しくて、でもどこか芯の強さが透けて見える文章だ。
ヒコロヒーの周りにいる、名前も顔も知らない人たちの描写がとにかくいい。同居人の「つるちゃん」をはじめ、彼女の生活圏に登場する人物たちが、読んでいるうちにまるで自分の知り合いのように思えてくる。芸人としての覚悟を綴った終盤の章は、それまでのユーモラスなトーンとのギャップもあって、静かに胸に迫るものがある。
佐久間宣行『佐久間宣行のずるい仕事術』
著者:佐久間宣行/出版社:ダイヤモンド社(2022年)

お笑いの裏側を支えた男の、消耗しない働き方
厳密にはお笑い芸人ではない。けれど「ゴッドタン」「あちこちオードリー」などの人気番組を生み出し、「オールナイトニッポン0」のパーソナリティも務める佐久間宣行は、お笑い界にとってなくてはならない存在だ。
本書は、テレビ東京での22年間のサラリーマン生活で培った仕事術をまとめたもの。誰とも戦わず、消耗せず、それでも自分のやりたいことを通す。その方法が62の項目に分けて語られている。芸人エッセイの文脈で読むと、お笑いの「裏方」がどんな思考で番組を作っているのかが見えてきて、また違った味わいがある。
チャンス大城『僕の心臓は右にある』
著者:チャンス大城/出版社:朝日新聞出版(2022年)

とんでもない人生なのに、読むとなぜか元気になる
内臓逆位(臓器がすべて左右対称になっている)という身体的特徴を持つチャンス大城が、尼崎で育った少年時代から東京での芸人生活までを語った半生記。次から次へと飛び出すエピソードの濃さに、読んでいて何度も声が出る。
「水曜日のダウンタウン」のドッキリ企画での天然なリアクションで知られるチャンス大城だが、この本を読むと、あの「天然」がどんな人生の土壌から生まれたのかがよくわかる。壮絶なのにどこかカラッとしていて、読後に不思議と前向きな気持ちになれる一冊。
橋本直『細かいところが気になりすぎて』
著者:橋本直(銀シャリ)/出版社:新潮社(2024年)

森羅万象にツッコミを入れ続ける男の初エッセイ
2016年のM-1グランプリ王者・銀シャリのツッコミ担当、橋本直の初著作。ホテルのWi-Fiのパスワードが見つからない。カフェのメニュー表がオシャレすぎて読めない。そんな些細な日常の「引っかかり」に、ひとつひとつ丁寧にツッコミを入れていく全20篇のエッセイ集。
相方・鰻の4コマ漫画も掲載されていて、銀シャリファンにはたまらない一冊。ツッコミ芸人の真髄は、怒りも照れも全部笑いに変えてしまうところにある。橋本の視点を通すと、何気ない日常がほんの少しだけ面白く見えてくる。
伊藤俊介『一旦書かせて頂きます』
著者:伊藤俊介(オズワルド)/出版社:KADOKAWA(2023年)

東京漫才の旗手が、漫才の外で見せる表情
M-1グランプリで4年連続ファイナリストとなったオズワルドのツッコミ担当、伊藤俊介による初のエッセイ集。「ダ・ヴィンチWeb」での連載をベースに、芸人仲間とのルームシェア時代の話や、M-1の裏側、家族にまつわる書き下ろしが収録されている。
伊藤の文章は、漫才でのシュールなツッコミと同じトーンで語られていて、声が聞こえてくるような感覚がある。妹で女優の伊藤沙莉との関係や、相方・畠中への思い。笑わせようとしていないのに自然と笑えてしまう文章には、日常を面白がれる人間の余裕と、人への愛情が感じられる。
舞台の裏側に置かれた言葉たち
お笑い芸人のエッセイが面白いのは、彼らが「伝えるプロ」だからだけではない。人前に立ち、笑われ、ときに滑り、それでも次の日も舞台に上がるという生き方をしている人たちの言葉には、どうしたって体温がこもる。
ここで紹介した13冊は、どれも「笑い」だけで終わらないエッセイばかりだ。読み終えたあと、テレビやラジオでその芸人を見たとき、きっと今までとは違う目で見てしまうだろう。文字のなかの彼らは、舞台の上よりもほんの少しだけ静かで、ほんの少しだけ正直だ。

