将棋という競技は、たった81マスの盤の上で行われる。それなのに、そこには宇宙が広がっている。読みの深さ、勝負への執念、人生を懸けた一手の重み。将棋漫画を読んでいると、自分が指せなくても、その盤上に流れる空気の張りつめ方が伝わってきて、いつの間にか登場人物と一緒に呼吸している自分に気づく。
藤井聡太の登場以降、将棋を題材にした作品はますます充実してきた。プロ棋士の極限の世界を描く王道もの、賭け将棋に生きる男たちの群像劇、女流棋士の苛烈な戦い、奨励会という地獄を描く青春ドラマ。切り口はさまざまだが、共通しているのは「人が真剣に何かに向き合う姿の美しさ」を描いていることだろう。
ここでは、王道の名作から異色作、しみじみと染みる日常系まで、14作品を選んで紹介する。
3月のライオン
著者:羽海野チカ/出版社:白泉社(ヤングアニマル)/既刊18巻

孤独な少年が、家族と将棋に救われていく物語
15歳でプロ棋士となった桐山零は、幼い頃に事故で家族を失い、ひとりで将棋会館の重圧を背負って生きている。そんな彼が下町の川本家三姉妹と出会い、少しずつ凍った心を溶かしていく。
『ハチミツとクローバー』の羽海野チカが描く本作は、将棋漫画でありながら、孤独や家族の意味、いじめや喪失といった人間の核に踏み込んでくる。盤上の心理戦は緊張感に満ちているが、それと同じ熱量で日常の小さな救いが描かれている。零が川本家でご飯を食べる場面の温かさは、何度読んでも涙腺に効く。神木隆之介主演で実写映画化、NHKでアニメ化もされた将棋漫画の代名詞といえる作品だ。
「3月のライオン」の関連テーマ
月下の棋士
著者:能條純一/監修:河口俊彦/出版社:小学館(ビッグコミックスピリッツ)/全32巻

駒が泣く、棋士が燃える、勝負の世界の極限譜
伝説の棋士・御神三吉の推薦状を手に将棋会館に現れた少年・氷室将介。挑発的でアクが強く、目上の棋士にも臆せず勝負を仕掛ける彼が、奨励会から名人への道を駆け上がっていく。
能條純一の絵筆が描き出す棋士たちは、もはや人間離れしている。駒が光って見える男、対局中に流血する男、自分の死期を悟りながら指し続ける男。「駒が泣いているぜ」「棋士には月下の光がよく似合う」といった名台詞の数々が、勝負の世界の狂気と美しさを刻みつけてくる。1993年から2001年まで連載された名作で、森田剛主演でドラマ化もされている。長尺だが、一度この世界に踏み込めば抜け出せなくなる中毒性がある。
聖 -天才・羽生が恐れた男-
作画:山本おさむ/監修:森信雄/出版社:小学館(ビッグコミック)/全9巻

29年の生涯を、すべて将棋に投じた怪童丸の魂
幼少期から重い腎臓病を患い、入院生活の中で将棋と出会った村山聖。院内学級で友人たちの死に囲まれて育った彼は、将棋こそが自分の生きる意味だと定め、29歳で夭逝するまでその一片を残らず盤上に投じた。師匠・森信雄との二人三脚の歩み、羽生善治・佐藤康光ら同世代との激闘、そしてA級棋士として迎えた最期までを描く。
実在の天才棋士・村山聖の生涯を、フィクションを織り交ぜながら追ったコミックドキュメント。山本おさむの筆致は一コマ一コマに村山の気迫を宿らせ、病魔と闘いながら名人位を渇望する姿を圧倒的な熱量で描き切っている。各巻末には羽生善治、佐藤康光、森信雄、島朗、大崎善生、村山トミ子(聖の母)らによるコラムも収録され、人物像が立体的に立ち上がってくる。読み終えた後、しばらく動けなくなる種類の作品だ。
ハチワンダイバー
著者:柴田ヨクサル/出版社:集英社(週刊ヤングジャンプ)/全35巻

81マスの宇宙へ、頭から飛び込め
プロ棋士の夢を絶たれた菅田健太郎は、賭け将棋で生計を立てる「真剣師」として生きていた。アマ最強を自負する彼を倒したのは、秋葉原の女真剣師・そよだった。彼女との出会いから、菅田は鬼将会と呼ばれる謎の集団との戦いに巻き込まれていく。
『エアマスター』の柴田ヨクサルが描く本作は、もはや格闘漫画と将棋漫画の境界を破壊している。登場キャラクターは皆「必殺技」のような棋風を持ち、対局中の表情は鬼気迫る。作者自身がプロを目指していたほどの将棋好きで、その愛と狂気が全ページから噴き出している。「このマンガがすごい!2008」オトコ編1位を獲得した熱量の塊で、将棋を知らなくても圧倒的なテンションで読み切れてしまう。
リボーンの棋士
著者:鍋倉夫/出版社:小学館(ビッグコミックスピリッツ)/全7巻

夢を一度諦めた男が、もう一度盤の前に座るまで
奨励会で四段に上がれないまま年齢制限で退会し、プロへの道を閉ざされた安住浩一。カラオケ店でバイトをする日々を送っていた彼は、将棋イベントで中学生でプロ入りした天才・明星陸六段との指導対局に勝ったことで、再び将棋に火を灯される。同じく年齢制限で退会した土屋とともに、安住はアマ棋士として再起を目指す。
奨励会というシステムの残酷さと、それでも将棋を捨てきれなかった男たちの再生を、丁寧に描いた7巻完結の作品だ。派手な天才の物語ではなく、敗者になった人間がどう次の一歩を踏み出すかという視点が貴重で、読み終えたとき胸の奥にあたたかいものが残る。挫折を経験したことのある人間にこそ、深く刺さる物語だろう。
盤上のオリオン
著者:新川直司/棋譜監修:山本博志/出版社:講談社(週刊少年マガジン)/既刊9巻

神童だった青年とバーテンダーの少女、ふたりの将棋が交わるとき
将棋の神童と呼ばれた二宮夕飛は、かつての輝きを失い連敗続きの日々を送っていた。17連敗目を喫した夜、ふらりと立ち寄ったバーで彼が出会ったのは、カウンター越しに天才的な将棋を指すバーテンダーの少女・茅森月。横暴でワガママで破天荒な彼女の将棋は、鋭く自由で「神様に選ばれた将棋」そのものだった。対局料はギムレット一杯。
『四月は君の嘘』の新川直司による将棋漫画で、2024年から週刊少年マガジンで連載中。再起をかける青年と、型破りな天才少女のボーイ・ミーツ・ガールが、新川直司ならではの詩的な画面で展開していく。盤を裏から覗くアングルや、心情を線で滲ませる描写など、この作家にしか描けない将棋の美しさがある。次にくるマンガ大賞2024コミックス部門にもノミネートされた話題作で、青春・恋愛・将棋が等しく重なり合うバランス感は唯一無二。
永世乙女の戦い方
著者:くずしろ/監修:香川愛生/出版社:小学館(ビッグコミックスペリオール)/既刊14巻

華麗で獰猛、女流棋士たちの殺し合い
高校2年生の女流棋士・早乙女香は、女流将棋界の絶対女王・天野香織に憧れ、女流タイトル戦「マイナビ女子オープン」を戦い抜いていく。彼女の前には、自分こそ次の女王になると信じて疑わない強敵たちが次々と立ちはだかる。
本作のすごみは、女流棋士の対局を「美しさ」と「獰猛さ」の同居として描き切っているところだ。盤上で殺し合う姿が、首を絞め合うイメージとして可視化される演出は息を呑む。監修は女流棋士・香川愛生が担当しており、思考や生活ぶりがリアルに織り込まれている。「将棋=静の競技」という先入観を、根底から揺さぶってくる一作。
龍と苺
著者:柳本光晴/出版社:小学館(週刊少年サンデー)/既刊25巻

14歳の女子中学生が、将棋界を素手でなぎ倒す
退屈な日々に鬱屈を抱える中学2年生・藍田苺。クラスでいじめをしていた同級生を椅子で殴り飛ばしてしまった彼女は、スクールカウンセラーから将棋を教わり、その世界に引き込まれていく。常識破りの手を連発し、大人の棋士たちを次々と打ち負かしていく快進撃が展開される。
『響〜小説家になる方法〜』でマンガ大賞2017を受賞した柳本光晴による本作は、将棋漫画というよりバトル漫画の文法で描かれている。「盤上では年齢も性別も棋歴も関係ない」という思想が、苺のまっすぐな闘志となって炸裂する。爽快感と理不尽さがないまぜになった少年マンガの王道を、令和の将棋というフィールドで実現した稀有な作品。
将棋めし
著者:松本渚/棋譜監修:広瀬章人/出版社:KADOKAWA(コミックフラッパー)/全6巻

対局より、休憩中の一杯がすべてを決める
プロ棋士・峠なゆたは、対局中の食事に並々ならぬこだわりを持っている。対戦相手とメニューが被らないこと、脳がガッツリ求めるものを選ぶこと。彼女にとって「将棋めし」は勝敗を分ける戦略そのものだ。
棋譜監修を広瀬章人九段が担当しており、将棋部分も本格的。だが本作の魅力はなんといっても、将棋会館に出前を運ぶ実在の店たちと、そこで提供される料理の描写だ。みろく庵のカツ丼や、関西将棋会館1階「レストラン イレブン」のバターライスなど、将棋ファンなら聞き覚えのある名物が次々登場する。フジテレビで内田理央主演でドラマ化もされた、肩の力を抜いて読める良作。重厚な将棋漫画の合間に挟むと、ちょうどいい清涼剤になる。
バンオウ-盤王-
原作:綿引智也/漫画:春夏冬画楽/出版社:集英社(少年ジャンプ+)/全8巻

三百年生きた吸血鬼が、現代の天才に挑む
永遠の命を持て余していた吸血鬼・月山。彼が三百年前に出会ったのは将棋だった。長い時を将棋とともに過ごした月山は、ついに馴染みの将棋教室を救うため、棋界最高峰の竜王戦に挑む決意をする。凡才の吸血鬼と現代の天才棋士たちの対決が始まる。
吸血鬼が竜王戦に挑むという突飛な設定だが、AIによる評価や実況が当然のように存在する作中世界は現代の将棋シーンに極めて忠実で、ファンタジー要素と本格描写の融合が見事に成立している。少年ジャンプ+で大きな話題を呼び、2024年に完結した。たった8巻という凝縮度も読みやすく、将棋漫画の入口として非常におすすめできる。
しおんの王
原作:かとりまさる/漫画:安藤慈朗/出版社:講談社(月刊アフタヌーン)/全8巻

言葉を失った少女が、駒の音だけで真実に近づく
幼い頃、目の前で両親を惨殺された安岡紫音。そのショックで言葉を失った彼女は、犯人が「将棋を指す人物」だと確信し、犯人を見つけるために女流棋士の道を歩む。両親の遺体のそばには、王将の駒が残されていた。
本格将棋サスペンスという独自のジャンルを確立した作品。将棋の対局シーンは骨太で、棋譜解説のページも単行本に収録されている。それでいて謎解きと心理戦が並走するため、ミステリーとしても抜群に面白い。原作のかとりまさるは元女流棋士・林葉直子のペンネームで、内側を知る者だからこそ書ける将棋界の質感が随所に滲む。アニメ化もされた、もう一度発掘されるべき名作だ。
ひらけ駒!
著者:南Q太/出版社:講談社(モーニング)/全8巻

将棋にハマった息子と、つられてハマる母親の日常
将棋に夢中な小学4年生・菊地宝と、将棋にミーハーな母。ふたりの休日はいつだって将棋三昧で、千駄ヶ谷の将棋会館や町の道場、子ども将棋大会、将棋まつりに出かけていく。実在のプロ棋士たちも登場し、知れば知るほど将棋の世界に惹き込まれていく。
南Q太が自身の息子の経験をもとに描いた半自伝的作品で、将棋を指す子どもたちの目線が驚くほどリアル。最初はのんびりした親子物語に見えるが、巻を重ねるごとに「奨励会」「研修会」「プロへの道」といった現実の重さが滲み出してくる。8巻のラスト、ある決断をする宝に向けて告げられる残酷な言葉と、その後の母への告白は何度読んでも胸が締めつけられる。続編『ひらけ駒!return』もある。
或るアホウの一生
著者:トウテムポール/棋譜監修:橋本崇載/出版社:小学館(ヒバナ→マンガワン)/全4巻

プロになれるのは年に2人だけ、その狭き門に挑む阿呆たち
奨励会三段の高以良瞬、17歳。プロ棋士になれるのは三段リーグの上位2名のみという狭き門に、彼は仲間とともに挑んでいる。イケメン坊ちゃんの夏目、辛辣最年長の迫、温和な牧野。アホで間抜けで、それでもど真剣な将棋野郎たちの群像劇。
トウテムポールの筆致が描き出すのは、勝負への恐怖と執着が同時に湧き上がる人間のひどく生々しい姿だ。スポーツマンガに負けない熱量を持ちつつ、シニカルな視線も忘れない独特のトーン。第一部完という形で4巻で終わってしまった惜しい作品だが、特に最終巻の夭逝の天才棋士・紫紅の生涯を描いた章は、将棋漫画屈指の名エピソードとして語り継がれる価値がある。棋譜監修は橋本崇載元八段。
5五の龍
著者:つのだじろう/電子版:ゴマブックス/全12巻

少年誌最古の本格将棋漫画、賭け将棋に生きた父を追って
運動神経抜群でお金にがめつい少年・駒形龍。やとわれ選手として様々なクラブで活躍する彼が、唯一断っていたのが将棋部の助っ人だった。父・駒形竜馬は真剣師と呼ばれる賭け将棋の世界で生き、家を貧乏のどん底に突き落とした張本人。父を追い詰めた真剣師・虎斑桂介との勝負のため、龍は本格的に将棋の世界へ足を踏み入れていく。
『恐怖新聞』『うしろの百太郎』で知られるつのだじろうが、1970年代に手がけた少年誌最古の本格将棋漫画。連載当時、つのだじろう自身がアマ三段だったこともあり、戦法描写は時代を超えて練り込まれている。日本将棋連盟推薦図書にも選ばれた一作で、現在は電子書籍で読むことができる。古さを感じさせる絵柄も、それ自体が今となっては味わい深い魅力となっている。
