ミステリを読む喜びのひとつに、「シリーズを追いかける」という体験がある。
1冊目で出会った探偵が、次の事件でも健在で、少しだけ歳を取り、少しだけ変わっている。新しい相棒ができたり、恋人と別れたり、過去の傷と向き合ったり。事件は毎回変わるが、その中心にいる人間は変わらない。いや、正確には、事件を通じて少しずつ変わっていく。
シリーズ探偵ものの醍醐味は、まさにそこにある。1冊で完結する物語とは違う、長い時間を共に過ごすからこそ見えてくるもの。それは探偵の成長であり、読者自身の変化でもある。
今回は、海外ミステリの中でも特に「シリーズで追いかけてほしい」名探偵たちを12組紹介する。それぞれの入口として最適な1冊を選んだので、気になるキャラクターから手に取ってみてほしい。
アクロイド殺し ― エルキュール・ポアロ
著者:アガサ・クリスティー 訳者:羽田詩津子 / 出版社:早川書房(クリスティー文庫)

灰色の脳細胞が、世界を100年騙し続けた
引退して田舎でカボチャを育てていたポアロのもとに、隣人の名士が刺殺されたという知らせが届く。シェパード医師の手記という形で語られる事件は、やがてミステリ史上最大の衝撃的な真相へとたどり着く。
ポアロシリーズは長編33作、短編集も多数という巨大なシリーズだ。その中でこの1冊を入口に選んだのは、ポアロの推理の凄みが最もインパクトをもって味わえるからだ。本格・パズラー編でも紹介した作品だが、ここではシリーズとしての魅力に触れたい。
ポアロの面白さは、事件を追うごとにこの風変わりなベルギー人の人柄が見えてくることにある。几帳面で自尊心が高く、それでいて人間への深い洞察力を持つ。シリーズ最終作『カーテン』まで読み通したとき、ポアロと過ごした時間の重みに打たれる読者は多い。
予告殺人 ― ミス・マープル
著者:アガサ・クリスティー 訳者:羽田詩津子(新訳版)/ 出版社:早川書房(クリスティー文庫) ※田村隆一訳の旧版も入手可能

新聞広告に載った殺人予告。時計が6時半を指したとき、銃声が響いた
イギリスの片田舎の地方紙に、奇妙な広告が掲載される。「殺人をお知らせします。10月29日金曜日、午後6時30分より……」。いたずらかゲームだろうと思った村人たちが指定された屋敷に集まると、予告の時刻ちょうどに部屋は暗転し、三発の銃声が轟いた。
マープルシリーズの中でファンから最も高い評価を受けている第4作。ポアロが頭脳で事件を解決するのに対して、マープルは「人間の本性を知っている」ことで真相に迫る。村の誰かに似ている、という彼女独特の推理法は、一見とぼけているが、その精度は恐ろしく高い。
おばあちゃん探偵という唯一無二のキャラクターは、長編12作を通じて変わらぬ魅力を放ち続ける。ポアロとはまったく別種の探偵像を楽しめるのが、クリスティーの懐の深さだ。
さらば愛しき女よ ― フィリップ・マーロウ
著者:レイモンド・チャンドラー 訳者:清水俊二 / 出版社:早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫) ※村上春樹訳『さよなら、愛しい人』(早川書房)でも読める

ロサンゼルスの闇を歩き続ける男。その孤独に、惹かれずにいられない
刑務所帰りの大男ムース・マロイが、かつて愛した女ヴェルマを捜している。その渦中に偶然居合わせた私立探偵マーロウは、別の事件にも巻き込まれ、やがて二つの事件が交錯していく。
ハードボイルド編でも紹介したが、シリーズとして語るならまた違う魅力がある。マーロウは長編7作(と未完の遺作)を通じて少しずつ歳を取り、孤独を深めていく。若さと行動力が際立つ本作から始めて、『長いお別れ』の円熟期、そして遺作『プレイバック』まで追いかけると、ひとりの男の人生を見届けたような読後感が残る。
マーロウの皮肉と叙情。その絶妙なバランスを、シリーズを通じて味わってほしい。
八百万の死にざま ― マット・スカダー
著者:ローレンス・ブロック 訳者:田口俊樹 / 出版社:早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)

アルコールと孤独の底から、探偵は這い上がれるのか
コールガールのキムが足を洗いたいと言う。スカダーがヒモに話をつけると、男はあっさり承諾した。だが直後にキムが惨殺される。容疑者のヒモから真犯人探しを依頼されたスカダーは、マンハッタンの闇に潜り込んでいく。
全18作にわたるスカダーシリーズの第5作であり、最大のターニングポイント。アルコール依存症と闘いながら事件を追うスカダーの姿は、ハードボイルド編で紹介した通りだが、シリーズとして読むとこの作品の意味が変わってくる。ここを境に、スカダーは酒を断つ決意をするのだ。
以降の作品では、断酒の苦しみ、恋人との関係、加齢による衰えが描かれていく。最終作『マット・スカダー わが探偵人生』まで読み通すと、40年以上にわたるひとりの男の人生を見届けることになる。
ロセアンナ ― 刑事マルティン・ベック
著者:マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 訳者:柳沢由実子(新訳版)/ 出版社:KADOKAWA(角川文庫)

北欧ミステリの原点は、静かな捜査と疲れた刑事の物語だった
スウェーデンの湖底から引き揚げられた女性の死体。身元不明のまま始まった捜査を率いるのは、ストックホルム警察のマルティン・ベック。地味で粘り強い聞き込みの末に、被害者がアメリカ人旅行者ロセアンナであることが判明する。
1965年発表。全10作で完結するこのシリーズは、北欧ミステリの源流であり、世界中の警察小説に影響を与えた。派手なアクションはない。あるのは、疲労と胃痛を抱えた中年刑事が、捜査チームの仲間たちと地道に事件を追う姿だ。
シリーズを通じて、ベックの私生活の変化、同僚たちの人間模様、スウェーデン社会の変容が描かれる。夫婦であるシューヴァルとヴァールーが、10年かけて10作を書き上げた計画性も見事だ。
キングの身代金 ― 87分署
著者:エド・マクベイン
訳者:堂場瞬一(新訳版)/ 出版社:早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)
※井上一夫訳の旧版も入手可能

「主役は探偵ではなく、署そのもの」という革命
靴メーカーの社長ダグ・キングの息子が誘拐された。ところが犯人が連れ去ったのは、キングの運転手の息子だった。犯人はそれでも身代金を要求する。キングは他人の子のために大金を払うべきか。87分署の刑事たちが、この難題に挑む。
87分署シリーズは1956年の第1作『警官嫌い』から2005年の遺作まで、実に55作を数える大長編シリーズだ。最大の特徴は、特定の主人公を持たないこと。スティーブ・キャレラを中心としつつも、署に所属する刑事たち全員が交替で物語の中心に立つ。
『キングの身代金』はシリーズ第10作で、黒澤明の映画『天国と地獄』の原作としても知られる。この1冊から入ると、87分署という「場所」が主役であるこのシリーズの魅力がすぐに分かるだろう。
ボーン・コレクター ― リンカーン・ライム
著者:ジェフリー・ディーヴァー 訳者:池田真紀子 / 出版社:文藝春秋(文春文庫) ※上下巻

首から下が動かない。それでも彼は、世界最高の科学捜査官だ
ニューヨークで連続誘拐殺人が発生。犯人は被害者の周辺に、次の犯行現場を暗示する手がかりを残していく。捜査協力を依頼されたのは、捜査中の事故で四肢麻痺となった元刑事リンカーン・ライム。生きる気力を失っていたライムだが、この事件をきっかけに再び闘志を燃やし始める。
デンゼル・ワシントン主演で映画化もされたシリーズ第1作。ライムの目・耳・手足となる女性刑事アメリア・サックスとのコンビが、作を重ねるごとに深化していくのがこのシリーズの大きな魅力だ。「現代のシャーロック・ホームズ」と評されるライムの科学捜査は圧巻で、毎回のどんでん返しにも唸らされる。
シリーズは現在も続いており、最新作まで追いかける楽しみがある。
ナイトホークス ― ハリー・ボッシュ
著者:マイクル・コナリー 訳者:古沢嘉通 / 出版社:扶桑社(扶桑社ミステリー)

ロサンゼルスの街に、正義を信じる刑事がいた
ロサンゼルス市警の殺人課刑事ハリー・ボッシュのもとに、パイプの中から発見された死体の通報が入る。薬物の過剰摂取による事故死と片づけられそうになったが、ボッシュは殺人を見抜く。しかも死体はかつてのベトナム戦争の戦友メドーズだった。捜査を進めるとFBIが介入。メドーズは未解決の銀行強盗事件の容疑者だったのだ。ベトナムでの地下トンネル戦の記憶と、現在の犯罪が交錯する。
1992年発表のシリーズ第1作。ボッシュはベトナム帰りの孤高の刑事だ。上司とぶつかり、組織に馴染めず、私生活も順風満帆とは言えない。だがどんな圧力にも屈せず、被害者のために真実を追い求める。「誰もが重要だ。さもなくば、誰も重要ではない」というボッシュの信条が、シリーズ全体を貫いている。
20作以上続くこのシリーズは、ロサンゼルスという都市の年代記でもある。ボッシュの半生とともに、街の変容を追体験できる。
サマータイム・ブルース ― V・I・ウォーショースキー
著者:サラ・パレツキー 訳者:山本やよい / 出版社:早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)

男社会のシカゴで、彼女は拳を握って立ち向かう
シカゴの女性私立探偵V・I・ウォーショースキー(通称ヴィク)のもとに、銀行の専務から行方不明の息子の恋人を捜す依頼が舞い込む。だが調査を始めた途端、暗黒街のボスから脅迫を受け、暴力にさらされる。それでもヴィクは引き下がらない。
1982年発表。女性私立探偵小説の先駆けとなったシリーズの第1作だ。ヴィクは美人だが皮肉屋で、ウイスキーを好み、正義のためなら体を張る。ハードボイルドの文法を引き継ぎながら、女性ならではの視点で社会の不正に切り込んでいく。
シリーズは20作以上続いており、ヴィクが取り扱う事件は企業犯罪、環境問題、移民問題と、その時々のアメリカ社会を映し出している。
カッコウの呼び声 ― コーモラン・ストライク
著者:ロバート・ガルブレイス(J・K・ローリング) 訳者:池田真紀子 / 出版社:講談社(講談社文庫)

ハリー・ポッターの作者が生んだ、もうひとりの傷だらけの主人公
超有名モデルが高級マンションから転落死した。自殺と断定されたが、兄は納得せず、私立探偵コーモラン・ストライクに再調査を依頼する。アフガニスタンで片脚を失った元軍人のストライクは、新しい助手ロビンとともに事件の裏に潜む真実を暴いていく。
ハリー・ポッターシリーズの著者J・K・ローリングが、ロバート・ガルブレイスというペンネームで発表したミステリシリーズの第1作(2013年)。正体が判明する前から、ミステリとしての完成度が高く評価されていた。
ストライクの魅力は、傷を抱えながらも仕事に誠実であること。助手ロビンとの関係が作を重ねるごとに変化していく点も読みどころだ。現在もシリーズは継続中で、作品ごとにロンドンのさまざまな側面が描かれている。
大鴉の啼く冬 ― ジミー・ペレス(シェトランド)
著者:アン・クリーヴス 訳者:玉木亨 / 出版社:東京創元社(創元推理文庫)

スコットランドの最果ての島に、静かな刑事がいる
シェトランド諸島の吹雪の夜。民話の祭りの後、若い女性の絞殺体が発見される。狭い島のコミュニティでは誰もが顔見知り。容疑者は限られているが、島の人々はそれぞれ秘密を抱えている。ジミー・ペレス警部が、静かに、しかし粘り強く事件を追う。
入門編でも紹介した作品だが、シリーズとして語るならまた違う味わいがある。ペレスが主人公となるシリーズは8作が刊行されており、シェトランドという土地そのものが主役と言っていい。島の風景、天候、住民たちの暮らし、そしてペレスの内面が、作品を重ねるごとに深みを増していく。
BBCでドラマ化もされ、英国で絶大な人気を誇るシリーズ。離島という閉じた世界の中で展開する人間ドラマは、穏やかでありながら深い余韻を残す。
殺人者の顔 ― クルト・ウォランダー
著者:ヘニング・マンケル 訳者:柳沢由実子 / 出版社:東京創元社(創元推理文庫)

疲れ果てた中年刑事が、スウェーデンの暗部に向き合う
スウェーデン南部の小さな町イースタで、農家の老夫婦が残忍な方法で襲われる。かろうじて生き残った妻が最後に残した言葉は「外国人」。この一言が、移民排斥運動に火をつけ、事件は社会問題と絡み合いながら複雑化していく。刑事クルト・ウォランダーは、個人的な問題を抱えながらも捜査に没頭する。
1991年発表のシリーズ第1作。北欧ミステリの世界的ブームを牽引した記念碑的シリーズだ。ウォランダーは典型的なダメ中年である。妻に去られ、父親との関係はぎくしゃくし、健康にも問題がある。だが、事件に対する真摯さと、社会の不正への怒りは本物だ。
全10作を通じて、ウォランダーの個人史とスウェーデン社会の変容が並行して描かれる。最終作『苦悩する男』のラストは、シリーズを追いかけてきた読者の胸に深く刺さるだろう。


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