「一本」という、たった二文字がこれほど重い競技は他にないかもしれない。
投げ技が決まった瞬間の衝撃、寝技でじりじりと追い詰める緊張感、そして畳の上で正座して向き合う礼の美しさ。柔道には、スポーツとしての激しさと武道としての精神性が同居している。そんな柔道の世界を描いた漫画には、他のスポーツ漫画とはまた違った熱さがある。
昭和のスポ根から令和の青春群像劇まで、柔道漫画の名作を10作品、選んでみた。柔道経験者はもちろん、柔道にまったく触れたことがない人にこそ読んでほしい物語ばかりだ。
YAWARA!
著者: 浦沢直樹 出版社: 小学館(ビッグコミックス) 巻数: 全29巻

普通の女の子でいたい天才柔道家の、笑って泣ける物語
猪熊柔は、柔道界の伝説的存在である祖父・滋悟郎から英才教育を受けた天才少女。しかし本人が望んでいるのは、恋をして、おしゃれをして、普通の女の子として生きること。祖父の「柔をオリンピックの金メダリストにする」という野望と、柔自身の「普通でいたい」という願いが、物語を通して何度もぶつかり合う。
浦沢直樹がこの作品で見せたのは、スポーツ漫画の文法を知り尽くした上での軽やかさだ。試合シーンは迫力がありながらもテンポよく、恋愛模様はコメディタッチで描かれる。それでいて、柔がライバルとの対戦を通して自分自身の柔道と向き合っていく過程には、確かな熱量が宿っている。女子柔道ブームの火付け役となった、柔道漫画の金字塔。
「YAWARA!」の関連テーマ
柔道部物語
著者: 小林まこと 出版社: 講談社(ヤングマガジンコミックス) 巻数: 全11巻

坊主頭とシゴキから始まる、最高に痛快な下克上
高校に入学したばかりの三五十五(さんご・じゅうご)は、柔道部の先輩たちの甘い言葉にまんまと釣られて入部してしまう。ところが入部した途端に態度は豹変。坊主頭にさせられ、容赦ないシゴキが始まる。だが、三五の負けん気に一度火がつくと、もう止まらなかった。
作者の小林まことは高校時代の柔道部経験をベースにこの作品を描いている。だからこそ、部活の空気感がとにかくリアルだ。先輩との上下関係、練習後の疲労感、試合前の緊張。そのすべてが生々しく伝わってくる。連載途中で古賀稔彦からファンレターが届いたことをきっかけに本格柔道路線へ舵を切ったというエピソードも有名で、多くのオリンピック金メダリストが愛読書に挙げる、柔道漫画のバイブルだ。
帯をギュッとね!
著者: 河合克敏 出版社: 小学館(少年サンデーコミックス) 巻数: 全30巻

黒帯5人、柔道部ゼロからのスタートライン
中学の昇段試験で出会った5人の少年が、柔道部のない高校で一から部を創設する。粉川巧、杉清修、斉藤浩司、三溝幸宏、宮崎茂。かつてのライバル同士が、今度はチームメイトとしてインターハイを目指す。
この作品が画期的だったのは、それまでの柔道漫画につきまとっていた「汗臭いスポ根」のイメージを完全に塗り替えたことだ。柔道をスポーツとして楽しむ姿勢が全編を貫いており、明るくてテンポのいい展開が心地よい。作者自身が柔道経験者であるため技の描写は正確で、実在するが使い手の少ない高難度の技が必殺技として登場するのも面白い。恋愛要素もほのかに漂う、爽やかな青春柔道漫画の決定版。
もういっぽん!
著者: 村岡ユウ 出版社: 秋田書店(少年チャンピオン・コミックス) 巻数: 全30巻(完結)

一緒だから楽しい。等身大の女の子たちの柔道青春記
中学最後の大会で結果を残せず、柔道をやめるつもりだった園田未知。しかし高校で親友の早苗や、中学最後の対戦相手だった氷浦永遠と再会したことで、もう一度柔道着に袖を通すことを決める。
この作品の主人公は天才ではない。特別な才能があるわけでもない。それでも柔道が好きで、仲間と一緒に畳の上に立つことが楽しくて、だから続ける。その等身大の感覚がたまらなく愛おしい。試合の描写は丁寧で、勝ち負けだけでなく、一つ一つの技の攻防に物語がある。対戦相手にもそれぞれの人生が描かれ、全員が主人公のように輝いている。2023年のアニメ化でさらにファンを増やした、令和を代表する柔道漫画だ。
JJM 女子柔道部物語
著者: 小林まこと(原作:恵本裕子) 出版社: 講談社(イブニングKC) 巻数: 全15巻(高校生編完結。社会人編がコミックDAYSで連載中)

実在の金メダリストが歩んだ、白帯からの道
北海道旭川市を舞台に、ごく普通の高校1年生・神楽えもが、ひょんなことから柔道を始め、やがてアトランタオリンピックの金メダリストへと成長していく。原作は、日本女子柔道界初の五輪金メダリストである恵本裕子本人だ。
『柔道部物語』から25年以上の時を経て、小林まことが再び柔道漫画を描いた。今回の主人公は女性で、実話ベース。北海道の厳しい冬の練習環境、体重別階級制が導入されていく時代背景など、細部にリアリティが宿っている。飽きっぽくて怒りっぽい、けれどまっすぐなえもの成長を追いかけるうちに、読者もいつの間にか彼女を応援してしまう。
いっぽん!
著者: 佐藤タカヒロ 出版社: 秋田書店(少年チャンピオン・コミックス) 巻数: 全14巻

小さな体で背負い投げ一本――その一瞬に全てを懸ける
体が小さく、パワーでは到底かなわない主人公が、背負い投げという一つの技にすべてを注ぎ込む。体格差をどう覆すか、その一点にこだわり抜いた物語だ。
佐藤タカヒロの描く試合シーンは、とにかく迫力がある。技がかかる瞬間の躍動感、組み手を争う序盤の駆け引き、一本を奪うまでの緊迫感。柔道の醍醐味である「小よく大を制す」がこの作品には凝縮されている。派手さよりも地道な努力と工夫で勝ち上がっていく姿は、柔道本来の精神にも通じるものがある。
からん
著者: 木村紺 出版社: 講談社(アフタヌーンKC) 巻数: 全7巻

京都のお嬢様学校で静かに始まる、少女たちの柔道群像劇
京都の名門お嬢様女子高・私立望月女学院。外部入学した高瀬雅は、中学で柔道京都府2位の実力を持つ。入学式で出会った寡黙な少女・九条京を柔道部に誘い、2人の物語が動き出す。
『神戸在住』で知られる木村紺が、それまでの作風を一新して挑んだ女子柔道漫画。柔道の試合描写のリアルさもさることながら、この作品の真価は人間関係の繊細な描き方にある。先輩と後輩の軋轢、初心者と経験者の温度差、言葉にならない感情の交差。京都の空気感をまとった独特の世界観の中で、少女たちは柔道を通して少しずつ「友達」になっていく。惜しくも連載は途中で幕を閉じたが、読んだ者の心に深く残る作品だ。
花マル伝
著者: いわしげ孝 出版社: 小学館(ヤングサンデーコミックス) 巻数: 全19巻

ライバルの背中を追いかけて、少年は強くなる
主人公の花マル(花田徹丸)が、さまざまなライバルとの対戦を通じて柔道家として成長していく王道の少年柔道漫画。試合のたびに新たな壁が立ちはだかり、それを乗り越えるたびに確実に強くなっていく。
1990年代のヤングサンデーで連載されたこの作品は、派手さこそ控えめだが、柔道漫画としての完成度が高い。階級ごとの戦い方の違い、成長期の体の変化が試合に与える影響など、柔道の競技としての奥深さが丁寧に描かれている。知名度では他の大作に譲るかもしれないが、柔道漫画好きが「もう一作」を探しているなら、まさにこの作品をおすすめしたい。
ジュウドウズ
著者: 近藤信輔 出版社: 集英社(ジャンプコミックス) 巻数: 全3巻

柔道の常識を覆す、異次元のバトルが幕を開ける
柔道界の頂点に君臨する尊道館に現れた少年・柳華。人里離れた八破羅村からやって来た彼は、尊道館の最強選手をあっさりと退ける。やがて八破羅村を舞台に、柔道の達人たちが秘かに技を競い合う異次元の祭典「ジュウドウズ」が開幕する。
全3巻と短い作品ではあるが、その密度は濃い。通常の柔道漫画とは一線を画す、バトル漫画的なケレン味とスケール感が特徴で、週刊少年ジャンプならではの勢いがある。柔道を題材にしながらも、格闘漫画としての面白さを追求した異色作。「真面目な柔道漫画をたくさん読んだ後に、こういうのもいいな」と思える一作だ。
柔道一直線
原作: 梶原一騎 作画: 永島慎二・斎藤ゆずる 出版社: 少年画報社(週刊少年キング) 巻数: 全13巻

地獄車、その技に師弟の絆が宿る
1964年、東京オリンピック。柔道の無差別級で日本が敗れたあの日から、少年・一条直也の物語は始まる。かつて「鬼車」と恐れられた柔道家・車周作と出会い、弟子入りした直也は、必殺技「地獄車」を武器に、国内外のライバルたちと死闘を繰り広げる。
梶原一騎が『巨人の星』に続いて生み出したスポ根漫画の原点の一つ。地獄車や海老車といった必殺技の荒唐無稽さは、今の目で見ると笑ってしまうところもあるが、師・車周作と弟子・直也の間に流れる絆の物語は真っ直ぐに胸を打つ。最後に周作が直也のために打った一手の意味を知ったとき、この物語がただのスポ根ではなかったことに気づかされる。1969年にはテレビドラマ化されて大ヒットし、柔道人気を大きく押し上げた歴史的作品でもある。

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