「古い映画」には、独特の手触りがある。
フィルムの粒子が生む柔らかな光、オーケストラではなくギター一本で紡がれる旋律、CGではなく何百人ものエキストラが実際に画面を埋め尽くす群衆シーン。そこには、物語と演技の力だけで観客の心を掴もうとする、剥き出しの情熱がある。
フランス映画のクラシック作品は、1930年代から60年代にかけて、世界の映画のかたちそのものを変えてきた。カメラの文法を壊した若者たちがいた。占領下のパリで3年かけて恋愛映画を撮った監督がいた。5歳の少女に戦争の悲しみを語らせた作品があった。どれも「名作」と呼ばれているが、そのレッテルは忘れてほしい。まずは1本、気になったものから観てみてほしい。
天井桟敷の人々
監督: マルセル・カルネ 脚本: ジャック・プレヴェール 出演: アルレッティ、ジャン=ルイ・バロー、ピエール・ブラッスール、マリア・カザレス 公開年: 1945年 / 上映時間: 190分(二部構成) 受賞: ヴェネツィア国際映画祭特別賞

一人の女をめぐって、パントマイム師も俳優も犯罪者も、全員が本気で恋をした
1840年代のパリ、劇場が立ち並ぶ犯罪大通り。自由に生きる女芸人ガランスに、パントマイム師のバチスト、俳優のルメートル、犯罪詩人ラスネール、そして富豪のモントレー伯爵──4人の男たちがそれぞれの形で恋を寄せる。第一部「犯罪大通り」と第二部「白い男」の二部構成で描かれる、壮大な愛と芸術の物語。
ナチス占領下のフランスで3年以上の歳月をかけて製作された、フランス映画史上最高傑作の呼び声高い大作だ。190分という長さだが、退屈する暇がない。パントマイム、演劇、犯罪、恋愛──すべてが濃密に絡み合い、19世紀パリの喧騒がそのまま画面から立ち上ってくる。ジャン=ルイ・バローが演じるバチストのパントマイムは、セリフなしで観客の心を鷲掴みにする。そしてラストの謝肉祭の群衆の中、去りゆくガランスを追うバチストの姿。あの場面を観てしまったら、この映画を忘れることはできない。
禁じられた遊び
監督: ルネ・クレマン 出演: ブリジット・フォッセー、ジョルジュ・プージュリー 公開年: 1952年 / 上映時間: 87分 受賞: ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)

ギター一本の旋律が、戦争孤児の物語をいつまでも心に留める
1940年、ドイツ軍のパリ侵攻から逃れる途中、爆撃で両親を亡くした5歳の少女ポーレット。一人さまようなか、農家の11歳の少年ミシェルと出会う。ミシェルから「死んだものはお墓に埋める」ことを教わったポーレットは、子犬を埋めて十字架を立てることに夢中になっていく。
ナルシソ・イエペスのギター独奏による「愛のロマンス」は、この映画のためだけに存在するような旋律だ。戦闘シーンはほとんどない。しかし、この87分は、どんな戦争映画より深く「戦争の残酷さ」を伝えてくる。それは、ポーレットが「死」を理解できないまま、純粋な遊びとして十字架を集めていくからだ。ブリジット・フォッセーの演技は演技に見えない。撮影時わずか5歳だった彼女の瞳に映る世界がそのまま、映画の世界になっている。ラスト、人混みの中で「ミシェル」と呼び続けるポーレットの声が、観終わったあとも耳に残る。
太陽がいっぱい
監督: ルネ・クレマン 出演: アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ 公開年: 1960年 / 上映時間: 118分 音楽: ニーノ・ロータ

完全犯罪を成し遂げたはずの青年を、地中海の太陽が見下ろしている
アメリカの富豪の息子フィリップに雇われ、イタリアへやって来た貧しい青年トム・リプリー。だがフィリップの傲慢な振る舞いに耐えかねたトムは、ある計画を実行に移す。フィリップの恋人マルジュ、彼の財産、そしてその人生そのものを手に入れるために。
24歳のアラン・ドロンの美貌は、この映画において一つの凶器だ。彼が演じるトム・リプリーは、嫉妬と野心と劣等感を内に秘めながら、完璧な計画を遂行していく。原作はパトリシア・ハイスミスの小説だが、クレマン監督はハリウッド的な勧善懲悪を排し、犯罪者であるトムにどこか共感してしまう構造を作り上げた。ニーノ・ロータの甘美な音楽が、地中海の陽光とともに映画全体を包み込む。そしてラスト──タイトルの意味を悟った瞬間の衝撃は、60年以上経った今も語り継がれている。
死刑台のエレベーター
監督: ルイ・マル 出演: ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ 公開年: 1958年 / 上映時間: 92分 音楽: マイルス・デイヴィス

完全犯罪の夜、エレベーターが止まった
不倫関係にある男女が、女の夫である実業家を殺す計画を立てる。犯行後、証拠の処理のため建物に戻った男は、エレベーターに閉じ込められてしまう。現れない恋人を探して、ジャンヌ・モローが夜のパリを彷徨い歩く──。
25歳のルイ・マルの長編デビュー作であり、ヌーヴェルヴァーグ前夜を告げる一本。しかし何より特筆すべきは、マイルス・デイヴィスが映画を観ながら即興で演奏したトランペットの音楽だ。夜のパリを歩くジャンヌ・モローの横顔に、マイルスの哀愁あるミュート・トランペットが重なる場面は、映画と音楽の幸福な出会いとしてこれ以上の例が思いつかない。プロットは緻密なサスペンスだが、この映画を忘れられないものにしているのは、間違いなくあの音だ。
大人は判ってくれない
監督・脚本: フランソワ・トリュフォー 出演: ジャン=ピエール・レオ、アルベール・レミ、クレール・モーリエ 公開年: 1959年 / 上映時間: 99分 受賞: カンヌ国際映画祭監督賞

居場所のない少年が走り出す。その先に海があった
パリに暮らす12歳の少年アントワーヌ。家では母と義父の不仲に挟まれ、学校では教師に目をつけられている。唯一の救いは友人ルネとの遊びだが、些細な嘘がきっかけで少年の日常は崩壊していく。
27歳のトリュフォーが自身の少年時代を投影して撮った長編デビュー作であり、ヌーヴェルヴァーグの幕開けを告げた記念碑的作品。主演のジャン=ピエール・レオは当時14歳。学校をサボり、映画を観て、街を走り回る少年の姿は、トリュフォー自身の記憶そのものだ。この映画が映画史に刻んだのは、何より最後の長い長いワンショットだ。少年院を逃げ出したアントワーヌが海辺まで走り、ふと振り返ってカメラを見つめる。あの一瞬の凍りつくような眼差しに、すべてが集約されている。
勝手にしやがれ
監督・脚本: ジャン=リュック・ゴダール 原案: フランソワ・トリュフォー 出演: ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ 公開年: 1960年 / 上映時間: 90分

車を盗んで警官を撃った男が、パリで恋人と過ごす最後の数日間
自動車泥棒のミシェルは、逃走中に衝動的に警官を射殺してしまう。パリに戻った彼は、アメリカ人の恋人パトリシアと束の間の日々を過ごすが、警察の手は確実に迫っていた。
ゴダール29歳の長編デビュー作にして、映画の文法を根底から変えた革命的作品。不連続につなぎ合わされたショット(ジャンプカット)、登場人物がカメラに向かって語りかける演出、即興的なセリフ──当時の常識をことごとく破壊したこの映画は、世界中の若い映画作家に衝撃を与えた。ベルモンドが唇を親指でなぞる仕草、セバーグのショートカット、パリの街を手持ちカメラで追いかける軽やかさ。すべてがスタイルとして完成している。筋書きだけ追えば単なる犯罪映画だが、この映画が与えた影響は、映画の歴史を「以前」と「以後」に分けたと言ってもいい。
恐怖の報酬
監督: アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 出演: イヴ・モンタン、シャルル・ヴァネル、ペーター・ヴァン・アイク 公開年: 1953年 / 上映時間: 131分 受賞: カンヌ国際映画祭パルムドール、ベルリン国際映画祭金熊賞

ニトログリセリンを積んだトラックが、崩れかけた山道を走る
南米の辺境の町で行き場を失った男たち。彼らに提示された仕事は、油田の火災を鎮火するため、衝撃で爆発するニトログリセリンをトラックで500キロ運ぶこと。報酬は破格だが、少しの揺れが死を意味する。
カンヌのパルムドールとベルリンの金熊賞を同年にダブル受賞した、サスペンス映画の極北。前半はじっくりと男たちの閉塞した日常を描き、後半はひたすらトラックの走行だけで緊張感を維持する。崖沿いの道、腐った木の橋、ぬかるみの坂──CGのない時代に、これだけの手に汗握る映像をどう撮ったのか。クルーゾーの演出は冷徹で容赦がない。観客は助手席に座らされたような気持ちで、131分間、一瞬も気を緩められない。サスペンス映画の原点として、ヒッチコック作品と並んで語られる一本だ。
美女と野獣
監督: ジャン・コクトー 出演: ジャン・マレー、ジョゼット・デイ 公開年: 1946年 / 上映時間: 96分

燭台を持つ腕が壁から生え、涙がダイヤモンドになる城
商人の娘ベルは、父の身代わりとして野獣の城に囚われる。不気味な魔法に満ちた城の中で、粗野だが繊細な心を持つ野獣と暮らすうちに、ベルの心は少しずつ変化していく。
詩人・画家・小説家であったジャン・コクトーが映画に持ち込んだのは、「映像で詩を書く」という発想だった。壁から突き出て燭台を掲げる人間の腕、スローモーションでたなびくカーテン、涙が宝石に変わる瞬間──すべてが手作業の特殊効果で作られている。CGが当たり前の今観ても、コクトーの映像には魔法としか呼べないものがある。ディズニーの『美女と野獣』が世界的にヒットしたとき、コクトー版を知る映画ファンは「原点はこちらだ」と口を揃えた。野獣を演じるジャン・マレーの佇まいは、怪物でありながら気品に満ちている。ファンタジー映画の源流として、一度は観ておきたい一本。
冒険者たち
監督: ロベール・アンリコ 出演: アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス 公開年: 1967年 / 上映時間: 112分 音楽: フランソワ・ド・ルーベ

パイロットとエンジニアと彫刻家。3人の夢が交差した、短い夏の物語
飛行機乗りのマヌー、自動車エンジニアのローラン、彫刻家のレティシア。パリでそれぞれの夢に挫折した3人は意気投合し、アフリカ沖の海底に沈む財宝を引き揚げる冒険に乗り出す。だが、夢の実現を目前にして、思いもよらない悲劇が3人を待ち受けていた。
日本では公開当時から根強いファンを持つ、フランス映画のなかでも特に愛されている一本。アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラの男同士の友情、ジョアンナ・シムカスの透明感、そしてフランソワ・ド・ルーベの音楽──すべてが完璧に調和した青春冒険映画だ。物語は後半で一気にトーンを変え、冒険の興奮が喪失の哀しみへと変わっていく。それでも観終わったあとに残るのは、不思議な爽やかさだ。夢を追いかけた日々は、たとえ短くても、たとえ報われなくても、確かにそこにあった。そんな感覚を、この映画は静かに残してくれる。
望郷
監督: ジュリアン・デュヴィヴィエ 出演: ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、リュカ・グリドゥー 公開年: 1937年 / 上映時間: 94分

カスバの迷宮に潜む男が、パリの香りを持つ女に出会ってしまった
アルジェのカスバ(旧市街の迷宮)に身を隠す大泥棒ペペ・ル・モコ。警察は迷宮の奥まで手が出せず、ペペは仲間に囲まれて安全に暮らしている。だが自由に外へ出られない日々に、彼の心は徐々に蝕まれていた。そこへ、パリの上流社会からやって来た美しいガビーが現れる。
戦前フランス映画の黄金期を代表する一本であり、ジャン・ギャバンをフランス映画界最大のスターに押し上げた作品。ギャバンが体現する「逃げられない男」の哀愁は、後のフィルム・ノワール全体に影響を与えている。カスバの猥雑な空気感、入り組んだ路地の映像美、そしてペペがガビーに惹かれていく過程の繊細さ。90分余りの映画に、人間の自由への渇望と、運命に抗えない哀しさが凝縮されている。ラストシーンの切なさは、フランス映画の「余韻」を語るとき、必ず引き合いに出される名場面の一つだ。
大いなる幻影
監督・脚本: ジャン・ルノワール 共同脚本: シャルル・スパーク 出演: ジャン・ギャバン、ピエール・フレネー、エリッヒ・フォン・シュトロハイム 公開年: 1937年 / 上映時間: 114分 受賞: ヴェネツィア国際映画祭芸術映画賞、アカデミー賞作品賞ノミネート

敵も味方も、貴族も庶民も、同じ人間でしかないという残酷な真実
第一次大戦中、ドイツ軍に撃墜されて捕虜となったフランス飛行隊のマレシャル中尉とド・ボアルデュー大尉。脱走を重ねた末に送られた古城の収容所で、二人を待っていたのは、かつて自分たちを撃ち落としたドイツ貴族のラウフェンシュタイン大尉だった。敵同士でありながら、同じ貴族として心を通わせるド・ボアルデューとラウフェンシュタイン。その一方で、マレシャルたちの脱走計画は着々と進んでいく。
巨匠ジャン・ルノワールの最高傑作であり、外国語映画として初めてアカデミー賞作品賞にノミネートされた記念碑的作品。この映画が描いているのは、戦争そのものではなく、戦争によって壊される人間同士の絆だ。国籍や階級を超えた友情が生まれ、しかしその友情が結末を左右するという構図は、後の「戦場にかける橋」や「大脱走」にも多大な影響を与えている。ルノワール自身が第一次大戦で航空隊に所属した経験が脚本の土台にあり、戦場を描かずに戦争の本質を突く手腕は見事というほかない。エリッヒ・フォン・シュトロハイムが演じるドイツ人所長の、敵でありながら気高い佇まいが、この映画を単なる反戦映画の枠に収まらないものにしている。


コメント