四国の東側に並ぶ香川県と徳島県。
香川は、小豆島や瀬戸内の離島群、高松の街、そしてこんぴらさんの門前町。穏やかな内海と島々の風景が、古くから多くの物語を生んできた。徳島は、眉山のふもとに広がる城下町、阿波踊りの熱気、そして祖谷渓や剣山といった四国山地の深い緑。海の香川、山の徳島。同じ四国東部でも、その風土はまったく異なる。
前回は愛媛県を舞台にした小説を紹介したが、今回はこの二県をまとめて取り上げたい。小豆島に刻まれた子どもたちの記憶から、高松の不思議な図書館を経て、徳島の霊峰に咲く花まで。10の物語を通じて、香川と徳島の土地の力を感じてもらえたらうれしい。
― 香川県 ―
二十四の瞳
著者: 壺井栄 出版社: 新潮社(新潮文庫)ほか各社文庫 初出: 1952年

小豆島の分教場に、十二人の瞳が輝いていた
昭和初期の小豆島。岬の分教場に赴任してきた若い女性教師・大石先生は、一年生の子どもたち12人と出会う。貧しくも明るい日々を過ごすが、時代は戦争へと向かい、教え子たちの運命は大きく変わっていく。
1954年に木下恵介監督で映画化されて以来、何度も映像化されてきた不朽の名作だ。小豆島には今も「二十四の瞳映画村」があり、作品の世界に触れることができる。
壺井栄自身が小豆島の出身で、この島の風土と人々への愛が全編に満ちている。反戦の思いを声高に叫ぶのではなく、ごく普通の子どもたちの成長と、それを見守る教師の眼差しを通して、戦争が何を奪ったのかを静かに突きつけてくる。読み返すたびに、小さな教室の温もりが胸に広がる。
海辺のカフカ
著者: 村上春樹 出版社: 新潮社(新潮文庫/上下巻) 刊行: 2002年

15歳の少年が逃げ込んだ先は、高松の不思議な図書館だった
15歳の誕生日に家出した少年「田村カフカ」は、夜行バスで四国の高松へ向かう。そこで出会ったのは、甲村記念図書館という小さな私設図書館と、その管理人の大島さん。もうひとつの物語では、猫と会話できる老人ナカタさんが東京から四国を目指して旅をしている。
村上春樹が10代の少年を主人公に据えた長編小説。作中には高松の街が明記されており、少年の家出先として選ばれたこの土地が、物語に独特の空気を与えている。
現実と幻想が交差する、いかにも村上春樹らしい迷宮のような物語だ。高松という地方都市の静けさと、図書館という閉じられた空間が、少年の内面の旅にふさわしい背景として機能している。読み終えたあと、高松でひっそりと佇む図書館を探してみたくなる。
八日目の蟬
著者: 角田光代 出版社: 中央公論新社(中公文庫) 刊行: 2007年 受賞: 第2回中央公論文芸賞

偽りの母子が最後にたどり着いた場所は、小豆島だった
不倫相手の赤ん坊を誘拐した女・希和子は、生後間もない女児を連れて東京から逃亡する。名古屋、新興宗教の施設を転々としたのち、最後にたどり着いたのが小豆島。そうめん店で働きながら、希和子は「薫」と名づけた子どもと束の間の平穏な日々を過ごす。
物語の後半、小豆島の風景が圧倒的な存在感で立ち上がる。中山千枚田で行われる伝統行事「虫送り」のシーンは、映画版でもクライマックスとして幻想的に描かれた。その映画は2011年の日本アカデミー賞で10冠を獲得している。
サスペンスの緊張感と、母性という普遍的なテーマが絡み合い、読む手が止まらない。小豆島の穏やかな海と空が、偽りの親子の束の間の幸福を照らす場面は、どうしようもなく切ない。
青春デンデケデケデケ
著者: 芦原すなお 出版社: 河出書房新社(河出文庫) 刊行: 1991年 受賞: 第105回直木賞

ラジオから流れたロックに、香川の高校生たちの魂が震えた
1960年代半ばの香川県。ラジオから聞こえてきたベンチャーズの「パイプライン」に衝撃を受けた高校生の「ちっくん」は、仲間を集めてロックバンドを結成する。楽器を買うためにバイトをし、合宿をし、文化祭のステージを目指す。
直木賞を受賞し、1992年には大林宣彦監督により映画化もされた。タイトルの「デンデケデケデケ」は、エレキギターのトレモロ奏法の擬音だ。
時代も場所も特定されているのに、不思議と古びない。それは、初めて好きなことに出会い、仲間と夢中になるという体験が、いつの時代も変わらないからだろう。香川の方言が飛び交う会話のリズムが心地よく、読んでいると自分もバンドメンバーの一人になったような気分にさせてくれる。
機関車先生
著者: 伊集院静 出版社: 講談社(講談社文庫)ほか各社文庫 刊行: 1994年 受賞: 第7回柴田錬三郎賞

口のきけない先生が、瀬戸内の島の子どもたちに教えたこと
昭和30年代、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の小学校に、北海道から一人の臨時教師がやってくる。体が大きく、優しい眼差しの先生は、幼少期の病気が原因で話すことができない。子どもたちは彼を「口をきかん先生」、転じて「機関車先生」と呼ぶようになる。
2004年に坂口憲二主演で映画化された際、ロケ地に選ばれたのは香川県の塩飽諸島にある志々島や本島だった。瀬戸内の小島の美しい風景が、物語の背景をそのまま体現している。
言葉を使わずに子どもたちと向き合う先生の姿を通して、人と人が通じ合うために本当に必要なものは何かを問いかけてくる。押しつけがましさが一切なく、読後にじんわりと温かさが残る。島の生活や自然の描写が細やかで、ページをめくるたびに潮の香りがしてきそうだ。
― 徳島県 ―
眉山
著者: さだまさし 出版社: 幻冬舎(幻冬舎文庫) 刊行: 2004年

徳島の眉山のふもとで、母が遺した箱の秘密を追う
東京で働く咲子のもとに、故郷の徳島から母・龍子の入院の知らせが届く。医師から余命わずかと告げられ、母を看取る覚悟を決めた矢先、龍子が「献体」を申し込んでいたことを知る。なぜ献体なのか。疑問を追ううちに、咲子は母から託された一つの箱と、会ったことのない父の存在にたどり着く。
さだまさしが歌ではなく小説で描いた、母と娘の絆の物語。2007年には松嶋菜々子主演で映画化され、徳島の眉山や阿波踊りの風景が美しく映し出された。
徳島のシンボルである眉山は、物語の中でただの背景ではなく、母の人生そのものを映す鏡のように存在している。阿波踊りの場面では、祭りの熱気と母への思いが重なり、感情が一気に押し寄せてくる。親子の物語として、静かに深く心に残る一冊だ。
鳴門秘帖
著者: 吉川英治 出版社: 講談社(吉川英治歴史時代文庫/全3巻) 初出: 1926年〜1927年(大阪毎日新聞連載)

渦巻く鳴門海峡の向こうに、密国阿波の謎が眠る
他国者を容易に近づけない「密国」阿波。そこに潜入した幕府隠密・甲賀の宗家、世阿弥が消息を絶って10年。その娘お千絵を想い、虚無僧姿の青年剣士・法月弦之丞が阿波渡海を試みる。行く手を阻むのは、夜魔昼魔、お十夜孫兵衛、見返りお綱といった個性豊かな曲者たち。鳴門の渦潮を背景に、壮大な陰謀と恋情が渦を巻く。
大正末期に新聞連載されるや爆発的な人気を呼び、連載中から映画化が始まったという伝説的な作品だ。司馬遼太郎は本作を「既成の素材を借りずに純粋に空想世界を構築した」と評している。戦後もNHK大河時代劇など何度も映像化されてきた。
現代の読者には文体がやや古く感じられるかもしれないが、鳴門海峡の荒々しい潮流、剣山の深い霧、徳島の城下町の緊迫感といった風景描写は圧倒的な迫力がある。徳島を舞台にした時代小説の最高峰であり、この土地が持つ「秘境」としてのロマンを存分に味わえる一冊だ。
藍を継ぐ海
著者: 伊与原新 出版社: 新潮社 刊行: 2024年 受賞: 第172回直木賞(2025年)

ウミガメの浜辺で、少女は命を守ることを選んだ
日本各地を舞台に、その土地の自然や科学をモチーフにした5編の短編を収めた連作集。表題作「藍を継ぐ海」は、徳島県南部のウミガメ産卵地が舞台だ。祖父と二人暮らしの中学生の少女が、ウミガメの卵を孵化させ、自分ひとりの力で育てようとする。
著者の伊与原新は、父方の祖父が徳島県海陽町出身。本作の取材では蒲生田岬から日和佐地区一帯を訪れたという。自然科学者でもある著者ならではの視点で、海と命の関係が緻密に、しかし詩的に描かれる。
短編集なので徳島が舞台なのは1編だけだが、その1編に徳島の海岸線の美しさと厳しさがぎゅっと凝縮されている。2025年に直木賞を受賞したタイムリーな作品でもあり、徳島に新しい文学の光を当てた一冊として注目したい。
天涯の花
著者: 宮尾登美子 出版社: 集英社(集英社文庫) 初出: 1996年〜1997年(徳島新聞連載)

剣山の頂に咲くキレンゲショウマが、少女の孤独を照らす
養護施設で育った珠子は、中学卒業を機に徳島県の霊峰・剣山にある剣神社の宮司夫婦の養女となり、巫女としての生活を始める。電気も通わない山の中、訪れる者もほとんどいない厳しい暮らし。しかし、山に咲くキレンゲショウマをはじめとする花々が、珠子の心を支え続ける。やがて珠子は、山中で倒れていたカメラマンの青年と出会い、初めての恋を知る。
宮尾登美子は高知の出身だが、この作品では珍しく徳島の剣山を舞台に選んだ。安徳帝と平家の伝説が残るこの山の、霊的な雰囲気と清澄な自然が、無垢な少女の成長物語にこの上なくふさわしい。
1999年にはNHKでドラマ化、舞台化もされている。剣山に実際に登る人の中には、この小説を読んでキレンゲショウマに会いたくなった、という人も少なくないという。物語の風景がそのまま旅の目的地になる、そんな一冊だ。
吉野北高校図書委員会
著者: 山本渚 出版社: KADOKAWA(角川文庫) 刊行: 2008年

徳島弁が飛び交う図書室で、青春は静かに動き出す
徳島県の高校を舞台に、図書委員として集まった個性豊かな生徒たちの日常を描く青春小説。モデルとなったのは徳島県立城北高等学校で、著者の山本渚自身も同校の出身だ。
図書委員という地味で限定されたコミュニティだからこそ、登場人物一人ひとりの距離感がリアルに浮かび上がる。教室の中心にいるわけではない子たちの、ちょっとした気まずさや、ふとした瞬間の親しみ。そういう機微が丁寧に描かれている。
徳島弁で交わされる会話がとにかく温かくて、読んでいるとまるで自分もその図書室の隅に座っているような気分になる。華やかな青春ものとは趣が違うけれど、だからこそ「自分の高校時代にもこんな時間があったな」と思い出す人は多いのではないだろうか。
うず潮と眉山のむこうに広がる物語
小豆島の分教場に始まり、高松の図書館を経て、剣山の頂に咲く花へ。香川と徳島、二つの県を旅しながら読み進めてみると、同じ四国でも海と山で物語の色がこれほど違うのかと驚かされる。
香川には穏やかな瀬戸内の光がある。島々を渡る風のように、柔らかく開かれた物語が多い。一方の徳島には、山深い霊場や阿波の風土が育んだ、どこか神秘的で土着的な力がある。



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