四国の南に広がる高知県は、太平洋に面した長い海岸線と、四万十川・仁淀川という二つの清流、そして県土の大半を占める山々からなる。
この土地が生んだ人物といえば、まず坂本龍馬の名が浮かぶだろう。しかし高知の物語は龍馬だけではない。花街に生きた女たちの気骨、よさこい祭りにかける若者たちの熱狂、四万十川のほとりで育つ少年のまなざし、そして深い山中に息づく土着の信仰。土佐は「いごっそう」(頑固者)と「はちきん」(男勝りの女性)を生む風土だと言われるが、その気質が物語にもしっかりと宿っている。
前回までの愛媛編・香川徳島編に続き、今回はいよいよ四国シリーズの最終回。高知の海と川と山が育てた9つの物語を紹介したい。
竜馬がゆく
著者: 司馬遼太郎 出版社: 文藝春秋(文春文庫/全8巻) 初出: 1962年〜1966年(産経新聞連載)

土佐の郷士の末っ子が、日本を変える旅に出た
幕末の土佐藩に生まれた坂本龍馬。剣術修行のため江戸に出た青年は、やがて脱藩し、薩長同盟の仲介や海援隊の結成など、日本の近代化を導く大きなうねりの中心に立っていく。
言わずと知れた国民的歴史小説であり、現代の坂本龍馬像はこの作品によって形作られたと言ってもいい。物語の序盤、高知城下や桂浜、土佐の郷士たちの暮らしが生き生きと描かれており、龍馬が脱藩して土佐を離れる場面には独特の感慨がある。
全8巻は長いが、司馬遼太郎の語り口はまるで読者の隣に座って話しかけてくるような軽やかさがあり、読み始めるとページが止まらなくなる。高知を旅する前に読めば、桂浜に立ったとき、太平洋を見つめる龍馬の横顔が浮かんでくるはずだ。
県庁おもてなし課
著者: 有川ひろ 出版社: KADOKAWA(角川文庫) 刊行: 2011年

高知県庁の若手職員が、お役所仕事を飛び出した
高知県庁に誕生した新部署「おもてなし課」。若手職員の掛水は、観光振興の手始めに地元出身の人気作家に観光特使を依頼するが、民間感覚とかけ離れたお役所体質を容赦なくダメ出しされる。そこから掛水とアルバイトの多紀の奮闘が始まる。
高知県出身の有川ひろ(有川浩)が、自身が観光特使を依頼された体験をきっかけに書いた小説だ。実在の「おもてなし課」をモデルにしており、2013年には錦戸亮・堀北真希主演で映画化された。
仁淀川、沈下橋、日曜市、カツオのたたき――作中には高知の名所や名物がこれでもかと登場する。観光ガイドを読むより、この小説を一冊読んだほうが高知に行きたくなるかもしれない。有川ひろの故郷愛がたっぷり詰まった、高知の魅力のショーケースのような一冊だ。
四万十川 あつよしの夏
著者: 笹山久三 出版社: 河出書房新社(河出文庫) 刊行: 1987年 受賞: 第24回文藝賞、第4回坪田譲治文学賞

日本最後の清流のほとりで、少年は静かに強くなる
四万十川の大自然の中で、貧しくも温かな家族に見守られて育つ少年・篤義。ある夏、彼は子猫の命を救い、同級生の女の子をいじめから守るために立ち上がる。
著者の笹山久三は高知県四万十市(旧・西土佐村)の出身で、自伝的な要素が色濃い。第1部から第6部まであるシリーズ作品で、少年期から青年期にかけての篤義の成長が、四万十川の季節の移り変わりとともに描かれる。1991年には映画化もされた。
文章は平易で、小学生の高学年でも読める。しかし、その奥には「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川の自然と、そこで生きる人々の暮らしが、細やかな筆致で刻み込まれている。四万十川を知らない人がこの本を読めば必ず行きたくなるし、知っている人が読めばあの川の匂いがよみがえるだろう。
櫂
著者: 宮尾登美子 出版社: 新潮社(新潮文庫) 刊行: 1972年(私家版)、1973年に筑摩書房より商業出版 受賞: 第9回太宰治賞(1973年)

高知の花街で、15歳の女が覚悟を決めた
大正から昭和初期にかけての高知の花街を舞台に、15歳で渡世人に嫁いだ女性のひたむきな生涯を描いた自伝的小説。宮尾登美子が自らの父母をモデルに、土佐の風土と気質を織り交ぜながら書き上げた、作家としての出発点となる作品だ。
宮尾登美子は高知市の生まれ。実家は芸妓の置屋を営んでおり、幼少期の体験が作品世界の根底にある。花街という華やかさの裏にある厳しさ、そこで生きる女たちの意地と哀しみが、流れるような文体で綴られている。
読んでいると、大正期の高知の街の匂いや温度まで伝わってくるような濃密さがある。土佐の「はちきん」気質が、この一冊に凝縮されている。
仁淀川
著者: 宮尾登美子 出版社: 新潮社(新潮文庫) 刊行: 2000年

仁淀川のほとりで、一人の女が作家になるまで
満州で終戦を迎え、夫の故郷である仁淀川のほとりに住み始めた女性が、貧しさの中で作家への道を模索していく自伝的小説。
「櫂」が宮尾登美子の父母の物語だとすれば、本作は宮尾自身の物語だ。戦後の混乱期、高知の田舎で暮らしながら文学への志を捨てずにいる女性の姿が、仁淀川の風景とともに描かれる。
近年「仁淀ブルー」として知られるようになった仁淀川の透明な美しさは、小説の中でも印象的だ。同一作家の作品を二つ続けて紹介するのは異例だが、「櫂」と「仁淀川」はそれぞれ高知の花街と川辺の暮らしを描いており、合わせて読むとこの土地の奥行きがぐっと深まる。
夏のくじら
著者: 大崎梢 出版社: 文藝春秋(文春文庫) 刊行: 2008年

よさこい祭りの熱狂の中で、初恋の人を探している
東京から大学進学で高知にやって来た篤史。従兄弟に誘われ、よさこい祭りの地元チームに参加することになる。実は篤史には、4年前の祭りで出会った初恋の人を探すという秘かな目的があった。個性的なメンバーとともに、衣装も楽曲も踊りもゼロから作り上げていくうち、祭りの本番が迫ってくる。
よさこい祭りの準備から本番までを丹念に追いかけた青春小説で、鳴子の音、水色の衣装、纏が描く金色の軌跡と、祭りの熱気が臨場感たっぷりに描かれる。土佐弁が飛び交う会話のリズムも心地よい。
高知を舞台にした現代小説で、よさこい祭りをここまで正面から描いた作品は意外と少ない。夏に読めば、読み終わるころには自分もチームの一員になった気分で汗をかいているだろう。
海がきこえる
著者: 氷室冴子 出版社: 徳間書店(徳間文庫) 刊行: 1993年

高知の高校で始まった、三人のすれ違いの青春
高知の中高一貫校を卒業し、東京の大学に進学した杜崎拓。同窓会に出席するため帰省する飛行機の中で、高校時代のある出来事を振り返り始める。親友の豊が惹かれていた東京からの転校生・武藤里伽子。拓は修学旅行先で里伽子から「お金を貸してほしい」と頼まれ、そこから三人の関係が静かに動き始める。
1993年にスタジオジブリでアニメ化されたことでも知られる青春小説。物語の起点となるのは高知の高校で、土佐の空気の中で育まれた友情と淡い恋心が、氷室冴子の軽やかで繊細な筆致で描かれている。
高知の日常の風景――学校帰りの街並み、太平洋を望む空の広さ――が、登場人物たちの揺れる心情と自然に重なっていく。派手な事件は起きないのに、読み終わったあとの余韻がいつまでも消えない。青春小説の名作と呼ぶにふさわしい一冊だ。
死国
著者: 坂東眞砂子 出版社: マガジンハウス(のちKADOKAWA・角川文庫) 刊行: 1993年

四国は死国。逆打ちの遍路が、死者を呼び戻す
20年ぶりに故郷の高知の山村を訪れた比奈子は、幼馴染みの莎代里が18年前に事故死していたことを知る。さらに、莎代里の母が四国八十八ヶ所の霊場を死者の歳の数だけ逆に巡る「逆打ち」を行い、娘を黄泉の国から呼び戻そうとしていた。比奈子のもうひとりの幼馴染み・文也との恋の行方は、死の膨大な力に押し流されていく。
高知県出身の坂東眞砂子が、四国遍路の伝承と土着の信仰を題材に書いた伝奇ホラー小説。1999年には映画化もされた。閉鎖的な山村のねっとりとした空気、「四国は死国」という古い言い伝え。この土地ならではの霊的な気配が全編を覆っている。
高知の物語というと海や川のイメージが強いが、山深い集落にはもうひとつの高知がある。明るい太平洋側の風景だけでは見えてこない、四国の奥の暗がりを覗き込むような読書体験ができる一冊だ。
夜の底は柔らかな幻
著者: 恩田陸 出版社: 文藝春秋(文春文庫/上下巻) 刊行: 2013年

高知の山奥に、国家権力も及ばない「途鎖国」がある
犯罪者や暗殺者たちが住み、国家権力さえ及ばない無法地帯「途鎖国」。特殊能力を持つ「在色者」たちがこの地の山深くに集うとき、創造と破壊、歓喜と惨劇の幕が切って落とされる。
恩田陸が手がけた壮大なダークファンタジー。作中の「途鎖国」は架空の地名だが、高知県の山奥がモデルとされており、著者は担当編集者と何度も高知の山中を取材で走り回ったという。
険しい山地に囲まれた閉ざされた土地という設定が、高知の山間部の地理的特性と見事に重なっている。物語は決して読みやすいとは言えないが、恩田陸ならではの幻想的な筆致で描かれる山と闇の世界は、一度はまると抜け出せなくなる。高知の山の深さを、ファンタジーという切り口で味わえる異色の一冊だ。
土佐の風が吹くほうへ
太平洋の荒波に面した海岸線から、日本最後の清流・四万十川と仁淀ブルーの仁淀川をさかのぼり、霊場が点在する深い山の中へ。高知県を舞台にした小説は、この県の地形そのものを旅するような多彩さがある。
龍馬の気骨、花街の女たちの意地、よさこいの熱狂、四万十川のほとりの静けさ、そして山奥に潜むもうひとつの「四国」。一つの県の中にこれほど異なる物語が生まれるのは、やはり高知という土地が持つ懐の深さゆえだろう。
今回で四国四県の小説紹介シリーズは完結となる。愛媛の瀬戸内、香川の小豆島、徳島の剣山、そして高知の太平洋。四県それぞれの風土が育んだ物語の数々が、あなたの四国への旅のきっかけになればうれしい。



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