フランス映画には「難解」「退屈」というイメージがついてまわることがある。特にアート系と呼ばれる作品群にはなおさらだ。
けれど、ちょっと待ってほしい。それは「わからない」のではなく、まだ出会っていないだけかもしれない。たとえば、パリの夜を全速力で駆け抜ける青年の姿を見て何かが胸に刺さったとき、そこに「理解」は必要ない。監督の眼を通して、自分がまだ知らなかった世界の見え方に触れる。それがアート映画の醍醐味だ。
今回紹介するのは、フランス映画の中でも特に監督の作家性が際立つ9作品。ゴダール、カラックス、ヴァルダ、タチ……。彼らが映し出した世界は、60年経っても古びない。むしろ、今観るからこそ新しく映るものがある。
気狂いピエロ
監督・脚本: ジャン=リュック・ゴダール 出演: ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ 公開年: 1965年 / 上映時間: 110分

退屈な人生を捨てて走り出した男の、色彩と破壊に満ちた逃避行
裕福な妻との生活に倦み疲れたフェルディナンは、パーティの夜に元恋人マリアンヌと再会する。翌朝、彼女の部屋に転がる死体を見つけた二人は、何もかも捨ててパリから南仏へと逃避行を始める。
ゴダール長編10作目にして、ヌーヴェルヴァーグの到達点とされる一本。即興で撮影されたシーンの連なりは、脚本に従った映画の文法を次々と壊していく。赤、青、黄の原色が画面を支配し、詩の朗読と暴力が、絵画の引用とポップアートが、脈絡なく差し込まれる。それなのに、映画を観終えたときに残るのは不思議な詩情だ。とにかく理屈より先に、色彩の洪水に身を委ねてみてほしい。「わかる」より「感じる」ための映画であり、それこそがゴダールの流儀だった。
軽蔑
監督・脚本: ジャン=リュック・ゴダール 出演: ブリジット・バルドー、ミシェル・ピコリ、ジャック・パランス、フリッツ・ラング 公開年: 1963年 / 上映時間: 103分

夫婦の愛が壊れていく過程を、地中海の青が静かに見つめている
脚本家ポールは、プロデューサーのプロコシュから映画の仕事を依頼される。だがプロコシュが妻カミーユに接近するのを黙認したことで、カミーユの心は急速に離れていく。「あなたを軽蔑するわ」──その一言が、二人の関係を決定的に変える。
実在の巨匠フリッツ・ラングが本人役で出演するという異例の構成もさることながら、この映画の真の主役はカプリ島の光と海だ。ゴダールは壮大な地中海の風景の中に、崩壊していく夫婦の姿をぽつんと配置する。映画製作の舞台裏、ギリシャ神話の引用、そして言葉のすれ違いが何層にも重なり合い、観るたびに新しい発見がある。バルドーの圧倒的な存在感と、ジョルジュ・ドルリューの哀切な音楽が、この映画を忘れがたいものにしている。
汚れた血
監督・脚本: レオス・カラックス 出演: ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ、ミシェル・ピコリ、ジュリー・デルピー 公開年: 1986年 / 上映時間: 116分 受賞: ルイ・デリュック賞、ベルリン国際映画祭アルフレッド・バウアー賞

デヴィッド・ボウイの曲に乗せて、夜のパリを全力で駆け抜ける
愛のないセックスで感染する奇病が蔓延する近未来のパリ。孤独な青年アレックスは、父の友人であるギャングのマルクから犯罪計画に誘われる。だがアレックスの心は、マルクの恋人アンナに奪われていく。
弱冠26歳のカラックスが映画作家としての地位を確立した伝説的作品。何より語り継がれるのは、デヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」が流れる中、ドニ・ラヴァンが夜のパリの街路を悶えるように疾走するシーンだ。あの数十秒のために、この映画は存在するとすら言える。若さゆえの焦燥、届かない愛への渇望、夜の色彩の鮮烈さ。当時のジュリエット・ビノシュとジュリー・デルピーの初々しさも含めて、青春というものの痛みと美しさが画面に焼き付いている。2026年1月には4Kレストア版が公開され、あの映像美が再び劇場で体験できるようになった。
ホーリー・モーターズ
監督・脚本: レオス・カラックス 出演: ドニ・ラヴァン、エディット・スコブ、エヴァ・メンデス、カイリー・ミノーグ 公開年: 2012年 / 上映時間: 115分 受賞: シッチェス・カタロニア国際映画祭グランプリほか、「カイエ・デュ・シネマ」誌年間1位

白いリムジンでパリを巡り、11の人生を演じ続ける男の一日
白いリムジンに乗って、パリの街を移動する謎の男オスカー。富豪の銀行家、物乞いの老婆、殺人者、モーション・キャプチャーの演者、瀕死の老人──彼は一日の間に11もの異なる人物を演じていく。その仕事の意味も、誰のための演技なのかも、最後まで明かされない。
13年の沈黙を破ったカラックスの復帰作にして、映画というメディアそのものへのラブレター。ドニ・ラヴァンが特殊メイクを駆使して次々と別人に変貌していく様は圧巻で、BBCの「21世紀の偉大な映画100選」で16位に選ばれている。映画館の暗闇から始まり、リムジンたちの対話で終わるこの作品は、「演じること」と「生きること」の境界を問いかけてくる。カラックスの過去作品を知っていればより深く味わえるが、知らなくても、この不思議な一日の旅に巻き込まれる感覚はきっと忘れられない。
5時から7時までのクレオ
監督・脚本: アニエス・ヴァルダ 出演: コリンヌ・マルシャン、アントワーヌ・ブルセイエ、ミシェル・ルグラン 公開年: 1962年 / 上映時間: 90分

癌かもしれない。検査結果が出るまでの2時間を、パリの街と共に生きる
ポップ歌手のクレオは、癌の疑いを抱えたまま、午後7時の診断結果を待っている。占い師を訪ね、カフェに入り、友人と語り、見知らぬ兵士と出会い──クレオの2時間は、ほぼリアルタイムで映し出されていく。
ヌーヴェルヴァーグの「左岸派」を代表するアニエス・ヴァルダの初期傑作。映画の上映時間とクレオの体験する時間がほぼ一致するという構造の面白さに加え、死への不安が街の風景をどう変えるかを繊細に描いている。クレオが見る帽子店のウインドウ、カフェの喧騒、公園の木漏れ日──ヴァルダのカメラは、パリの日常をドキュメンタリーのような臨場感で切り取りながら、その中にクレオの心の揺れ動きを重ねていく。音楽を手がけたミシェル・ルグランが作曲家役で出演し、ゴダールとアンナ・カリーナがカメオ出演しているのも、この時代ならではの贅沢だ。
ぼくの伯父さん
監督・脚本・出演: ジャック・タチ 出演: ジャン=ピエール・ゾラ、アドリアンヌ・セルヴァンティ、アラン・ベクール 公開年: 1958年 / 上映時間: 117分 受賞: アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭審査員特別賞

セリフがなくても笑える。近代文明をまるごと皮肉った映像の魔術師
プラスチック工場を経営するアルペル氏の邸宅は、あらゆるところが自動化された超モダン住宅。だが息子のジェラールは、そんな窮屈な家よりも、下町で気ままに暮らすユロ伯父さんと遊ぶのが大好きだ。
ジャック・タチが監督・脚本・主演をこなした代表作。台詞はほとんどなく、身振りと効果音と音楽だけで物語が進行する。その手法はサイレント映画を思わせるが、タチの真価は「音」の使い方にある。オートメーション化された邸宅が発する奇妙な機械音と、下町の人間くさい生活音の対比。この映画が諷刺しているのは、便利さを追い求めるあまり人間味を失っていく社会そのものだ。1958年の映画だが、スマートフォンに囲まれた現代人が観ると、その先見性に驚かされる。タチの作品を観たことがない人にとって、最良の入口になる一本。
ベティ・ブルー 愛と激情の日々
監督・製作・脚本: ジャン=ジャック・ベネックス 出演: ベアトリス・ダル、ジャン=ユーグ・アングラード 公開年: 1986年 / 上映時間: 121分(インテグラル完全版:185分)

青い海、青い空、青い狂気──すべてを焼き尽くす愛の物語
海辺のバンガローで暮らす青年ゾルグの前に現れた自由奔放な少女ベティ。激しく惹かれ合う二人だが、ゾルグの小説家としての才能を信じるベティの情熱は、やがて常軌を逸した方向へと暴走していく。
ベネックス監督が世界的なセンセーションを巻き起こした一作。原題の「37°2 le matin」は女性が最も妊娠しやすい体温を意味しており、この映画の官能性と生命力を象徴している。何より衝撃的なのは、デビュー作でベティを演じたベアトリス・ダルの存在感だ。笑い、怒り、壊し、泣き、愛する。その振り幅の激しさは演技を超えて、ベティという人間がそこに実在しているかのように映る。ガブリエル・ヤレドによるサックスの旋律が、青を基調とした映像と溶け合い、観終わったあとも長く余韻が残る。通常版121分でも十分に濃密だが、60分近い未公開シーンを加えたインテグラル完全版では、ゾルグ側の心情がより深く描かれている。
去年マリエンバートで
監督: アラン・レネ 脚本: アラン・ロブ=グリエ 出演: デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジョ・アルベルタッツィ 公開年: 1961年 / 上映時間: 94分 受賞: ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞

「去年、私たちは会いました」──記憶と虚構の迷宮に閉じ込められる
豪華なバロック様式のホテル。一人の男が、ある女性に語りかける。「去年、マリエンバートでお会いしましたね」。女は覚えていないと言う。男は繰り返し記憶を語る。しかし、その記憶は本当のものなのか。
ヌーヴォー・ロマンの旗手アラン・ロブ=グリエの脚本と、アラン・レネの演出が生んだ、映画史上最も美しく、最も難解とされる作品の一つ。だが「わからない」ことを恐れる必要はない。この映画の魅力は、理解ではなく体験にある。幾何学的に整えられた庭園、廊下を延々と進むカメラ、影のない人物たち──すべてが夢の中にいるような浮遊感を生み出す。過去と現在、現実と記憶がどこまでも溶け合い、観る者自身の記憶さえ揺さぶってくる。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。公開から60年以上経った今もなお、映画における「時間」と「記憶」の表現として、これを超える作品はそう多くない。
ポネット
監督・脚本: ジャック・ドワイヨン 出演: ヴィクトワール・ティヴィソル、マリー・トランティニャン、グザヴィエ・ボーヴォワ 公開年: 1996年 / 上映時間: 97分 受賞: ヴェネツィア国際映画祭主演女優賞(ヴィクトワール・ティヴィソル、当時4歳)

4歳の少女が、死んだお母さんに会えると信じている
交通事故で母を亡くした4歳のポネット。大人たちは「ママはもう帰ってこない」と言うけれど、ポネットは信じない。お母さんは帰ってくる。だって約束したから。神様にお願いすれば、きっと──。
この映画の主演女優賞を受賞したヴィクトワール・ティヴィソルは、撮影当時わずか4歳。ヴェネツィア国際映画祭史上最年少の主演女優賞受賞者だ。ドワイヨン監督は子供たちに脚本を渡さず、状況だけを説明して自然な反応を引き出したという。だからポネットの涙も、怒りも、祈りも、演技には見えない。4歳の子供が「死」をどう受け止めるのか。理解できないからこそ、全力で抵抗し、全力で信じようとする。その姿は、大人が忘れてしまった何かを突きつけてくる。静かな映画だが、心の一番柔らかい場所に、深く届く作品だ。


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