フランスのサスペンス映画は、銃声やカーチェイスで畳みかけるハリウッド型とはまったく違う。
一見なにも起きていないように見える日常の中に、じわりじわりと不穏な空気が忍び込んでくる。登場人物が隠している秘密、社会が見て見ぬふりをしている歪み、そして観客自身の思い込み。それらが交差したとき、フランス映画のサスペンスは背筋をぞわりとさせる鋭さを見せる。
この記事では、犯罪・サスペンスにフォーカスして11作品を紹介する。社会派クライムから心理スリラー、エンターテインメント性の高い猟奇ミステリーまで、幅は広い。どの作品にも共通しているのは、「人間の暗部」を知性と映像美で描き切っていることだ。
憎しみ
監督: マチュー・カソヴィッツ 出演: ヴァンサン・カッセル、ユベール・クンデ、サイード・タグマウイ 公開年: 1995年 / 上映時間: 95分

パリ郊外、拳銃を拾った夜から転がり始める24時間
パリ郊外の「バンリュー」と呼ばれる移民の多い団地で、警官による暴行事件をきっかけに暴動が起こった。その翌日、ユダヤ系のヴィンス、アラブ系のサイード、アフリカ系のユベールの3人は、暴動の中で警官が落とした拳銃をヴィンスが拾ったことから、運命の歯車が狂い始める。
当時27歳だったカソヴィッツが監督・脚本を手がけ、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した衝撃作。全編モノクロームで撮影された映像は、ドキュメンタリーのような生々しさで、パリの「もうひとつの顔」を映し出す。冒頭で語られる「ここまではなんとかなっている」という寓話が、ラストで恐ろしいほどの意味を帯びてくる。ヴァンサン・カッセルの出世作でもあり、2019年のラジ・リ「レ・ミゼラブル」へと連なるフランス社会派クライムの原点ともいえる一本。
預言者
監督: ジャック・オーディアール 出演: タハール・ラヒム、ニエル・アレストリュプ 公開年: 2009年 / 上映時間: 150分

刑務所の最底辺から、知恵と胆力だけでのし上がる19歳
19歳のアラブ系フランス人マリクは、傷害罪で6年の刑に服すことになる。刑務所内を支配するコルシカ系マフィアのボス・セザールから殺人を強要され、逆らえば自分が殺される。読み書きすらおぼつかなかったマリクは、過酷な環境の中で生き延びる術を身につけ、やがて独自のネットワークを築き上げていく。
第62回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、セザール賞では作品賞を含む9部門を制覇。アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。主演のタハール・ラヒムは本作でセザール賞の主演男優賞と新人賞をダブル受賞するという快挙を成し遂げている。150分の長尺をまったく飽きさせない脚本の密度と、マリクの成長物語としての骨太さ。刑務所ものでありながら、どこか青春映画の匂いもする不思議な魅力がある。
隠された記憶
監督: ミヒャエル・ハネケ 出演: ダニエル・オートゥイユ、ジュリエット・ビノシュ 公開年: 2005年 / 上映時間: 119分

差出人不明のビデオテープが、順風満帆な男の人生を侵食していく
テレビキャスターのジョルジュは、妻アンヌと息子ピエロとともにパリで何不自由ない暮らしを送っていた。ある日、自宅を長時間にわたって撮影した差出人不明のビデオテープが届く。最初は悪戯と思ったが、次第にテープの内容はジョルジュの個人的な過去を暴くものへと変わっていく。
カンヌ国際映画祭で監督賞を含む3部門を受賞。劇伴音楽を一切使わない演出が、日常の中に潜む不穏さをいっそう際立たせる。ハネケが観客に突きつけるのは「犯人は誰か」という謎解きではなく、「あなたは自分の過去の罪を本当に忘れたのか」という問いだ。ラストカットの解釈をめぐって今なお議論が続く、考えれば考えるほど背筋が寒くなる作品。恋愛・人間ドラマ編で紹介した「愛、アムール」とはまったく異なるハネケの顔がここにある。
スイミング・プール
監督: フランソワ・オゾン 出演: シャーロット・ランプリング、リュディヴィーヌ・サニエ 公開年: 2003年 / 上映時間: 102分

南仏の別荘で、中年作家と奔放な少女の間に漂う危うい空気
スランプに陥ったイギリスのミステリー作家サラは、出版社の社長が所有する南フランスの別荘で執筆活動を始める。静寂の中で筆が進み始めた矢先、社長の娘と名乗るジュリーが突然現れ、夜な夜な男を連れ込む自由奔放な生活を始める。苛立ちながらも、サラはジュリーを小説の題材にしようとし、やがて現実と創作の境界が曖昧になっていく。
オゾン監督が得意とする「虚実の境界」を揺さぶるサスペンス。シャーロット・ランプリングの知性と冷たさ、リュディヴィーヌ・サニエの生命力と無防備さ。この対照的な二人の化学反応が、南仏の陽光の下でじりじりと不穏な温度を上げていく。終盤の急展開、そしてラストの意味深な一瞬。観終わったあと、思わず答えを探してしまうが、その「答えが出ない」こと自体がオゾンの仕掛けなのだと気づく。
クリムゾン・リバー
監督: マチュー・カソヴィッツ 出演: ジャン・レノ、ヴァンサン・カッセル、ナディア・ファレス 公開年: 2000年 / 上映時間: 106分

アルプスの大学町で発見された猟奇死体、二つの事件が交差するとき
フランス・アルプスの麓にある大学城下町ゲルノンで、両手を切断され眼球をくり抜かれた死体が発見される。捜査に派遣された敏腕のニーマンス警視と、別の事件を追っていた若きマックス警部補。二つの異なる事件を追う二人が同じ大学にたどり着いたとき、その背後に隠された恐ろしい真実が浮かび上がる。
ジャン=クリストフ・グランジェのベストセラー小説を「憎しみ」のカソヴィッツが映画化。ジャン・レノとヴァンサン・カッセルというフランスの二大スターが共演したことでも話題になった。ハリウッド映画ばりのダイナミックな演出と、アルプスの雪山というゴシックな舞台設定がうまく噛み合い、フランス製サイコスリラーとしては珍しいエンターテインメント性の高さを誇る。後半の謎解きには賛否あるが、前半の不気味な雰囲気と映像美は一見の価値がある。
レ・ミゼラブル
監督: ラジ・リ 出演: ダミアン・ボナール、アレクシ・マナンティ、ジブリル・ゾンガ 公開年: 2019年 / 上映時間: 104分

ユゴーの名作の舞台は今、取り返しのつかない一日の始まりの場所になった
ヴィクトル・ユゴーの小説で知られるパリ郊外モンフェルメイユ。現在は移民や低所得者が多く暮らす犯罪多発地帯となったこの町に、地方から新任の警察官ステファンが赴任する。気性の荒い同僚クリスたちとパトロールを始めた矢先、ある少年が起こした些細な出来事が、複数のグループ間の緊張関係に火をつけ、事態は取り返しのつかない方向へ暴走し始める。
モンフェルメイユ出身のラジ・リ監督の長編デビュー作にして、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。セザール賞では最優秀作品賞に輝き、アカデミー賞国際長編映画賞にもノミネートされた。マクロン大統領が鑑賞後に政府に対応を指示したという逸話もある。ドキュメンタリー出身の監督らしい生々しいカメラワークで、ラスト30分の緊迫感は息をするのも忘れるほど。「憎しみ」から24年、パリ郊外の現実は何も変わっていないのかもしれない。
ディーバ
監督: ジャン=ジャック・ベネックス 出演: フレデリック・アンドレイ、ウィルヘルメニア・ウィギンス・フェルナンデス 公開年: 1981年 / 上映時間: 117分

パリの郵便配達人が録音した一本のテープが、危険な追跡劇を引き起こす
オペラに心酔するパリの郵便配達人ジュールは、公演を録音しないことで知られるディーバ(歌姫)のリサイタルをこっそり録音してしまう。ところが、偶然にも犯罪組織の告発テープが紛れ込んだことから、ジュールは命がけの逃走劇に巻き込まれていく。
1980年代フランス映画の新しい波「シネマ・デュ・ルック」の先駆けとなった作品。スタイリッシュな映像美、ポップな色彩、そしてパリの街を疾走するバイクチェイス。公開当初は不入りだったが、口コミで人気が広がりカルト的な支持を得た。オペラの荘厳さとストリートの猥雑さが同居する独特の世界観は、40年以上経った今でも新鮮に映る。ファッション、音楽、アクションが溶け合った、フランス映画史における異端の名作。
仕立て屋の恋
監督: パトリス・ルコント 出演: ミシェル・ブラン、サンドリーヌ・ボネール 公開年: 1989年 / 上映時間: 79分

向かいの部屋を覗き続ける孤独な男、その視線の先にあるもの
パリのアパルトマンで孤独に暮らす仕立て屋のイール。彼の唯一の楽しみは、向かいの建物に住む美しい女性アリスの生活を覗き見ることだった。ある日、アリスのほうからイールに接近してくるが、その真意は……。
わずか79分という短さの中に、孤独、偏愛、そして残酷な結末が凝縮された小品。ルコント監督の繊細な演出は、一歩間違えば不快になりかねない題材を、どこか哀しくて美しい物語に昇華させている。ミシェル・ブランが演じるイールの「静かな狂気」は、声を荒らげることも暴力に訴えることもない。ただ視線だけで、人間の底知れない孤独と執着が伝わってくる。派手さはないが、観たあとにじわじわと効いてくるタイプの映画だ。
エル ELLE
監督: ポール・ヴァーホーヴェン 出演: イザベル・ユペール、ローラン・ラフィット、シャルル・ベルリング 公開年: 2016年 / 上映時間: 130分

自宅で暴漢に襲われた女性が、警察にも通報せず犯人を追い始める理由
ゲーム会社のCEOを務めるミシェルは、ある日自宅で覆面の男に襲われる。しかし彼女は警察に届けず、友人にさえ淡々と報告するだけ。やがて犯人の正体に近づいていくが、ミシェルの行動は常識からはかけ離れた方向へ進んでいく。その背景には、彼女の父親にまつわる衝撃的な過去が横たわっていた。
オランダ出身のヴァーホーヴェン監督がフランスで撮った異色作で、イザベル・ユペールはこの役でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。セザール賞でも主演女優賞に輝いた。被害者でありながら、従来の「被害者像」をことごとく裏切っていくミシェルというキャラクターは、観る者を困惑させ、苛立たせ、そして最終的に圧倒する。ユペールでなければ成立しなかっただろう、唯一無二のサスペンス。
告白小説、その結末
監督: ロマン・ポランスキー 出演: エマニュエル・セニエ、エヴァ・グリーン 公開年: 2017年 / 上映時間: 100分

作家と謎のファン、書く者と書かれる者の危険な共依存
ベストセラー作家デルフィーヌは、サイン会で熱狂的なファンのエルに出会う。知的で魅力的なエルは、デルフィーヌの作品を深く理解し、やがて彼女の生活に深く入り込んでいく。エルの提案で私小説の執筆を始めたデルフィーヌだが、書けば書くほどエルの存在が自分の人生を侵食していることに気づく。
デルフィーヌ・ド・ヴィガンの小説を原作に、ポランスキーが妻でもあるエマニュエル・セニエとエヴァ・グリーンの二大女優で映画化。「創作」と「現実」の境界が溶けていく恐怖は、同じテーマを扱うオゾンの「スイミング・プール」とも通じるが、こちらはより直接的に「書くことの暴力性」に切り込んでいる。100分というタイトな尺の中で、二人の関係が加速度的に変容していく緊張感は見事。エヴァ・グリーンの笑顔が、どの瞬間から不気味に感じ始めるか。それは観る人によって違うだろう。
唇を閉ざせ
監督: ギヨーム・カネ 出演: フランソワ・クリュゼ、マリ=ジョゼ・クローズ、アンドレ・デュソリエ 公開年: 2006年 / 上映時間: 131分

死んだはずの妻から届いた合図が、8年前の事件を再び動かし始める
小児科医のアレックスは、8年前に妻マルゴを惨殺されて以来、その喪失を抱えたまま生きてきた。ところがある日、彼のもとに「彼女は生きているのではないか」と思わせる謎の映像とメッセージが届く。半信半疑のまま真相を追い始めたアレックスだったが、やがて彼自身が殺人事件の容疑者として追われる立場に追い込まれていく。
アメリカの作家ハーラン・コーベンの小説を原作にしたサスペンスで、愛する者を失った男の悲しみと、陰謀に巻き込まれていくスリルが高い水準で両立しているのが魅力。単なる謎解きに終わらず、ひとつ秘密が明らかになるたびに人物関係の見え方が変わっていき、物語は最後まで緊張感を失わない。セザール賞では監督賞を含む複数部門を受賞し、フランス製エンターテインメントの完成度の高さを強く印象づけた一本である。
フランス映画が問いかける「犯罪」の手触り
11作品を振り返ると、フランスのサスペンス・クライム映画が描いているのは、単なる「事件」ではないことがわかる。
パリ郊外の団地に漂う怒り、刑務所の中で形成される権力構造、順風満帆に見える人生に潜む罪の記憶、創作と現実の危うい境界。どの作品も、犯罪や謎解きを入口にしながら、その先にある「人間の業」に踏み込んでいく。
そして、フランス映画のサスペンスは「すっきり解決」してくれないことが多い。犯人がわからないまま終わる映画、答えの出ない問いを投げかけてくる映画。それは不親切なのではなく、現実がそもそもすっきりしないものだという、フランス映画ならではの誠実さなのだと思う。


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